大野病院事件関連

2009年2月20日 (金)

続・ボールペン作戦!

福島県立大野病院事件
2006年2月18日の加藤医師逮捕から3年が経過しました。
そして2008年8月20日の無罪判決から今日でちょうど半年です。
 
たらい回しがどうだとか、地域の総合病院が潰れそうとか、
医療に関わる報道は今も毎日、次々と出てきます。
大野病院事件も古くはなっていきますがひとつの原点です。
以前よりは話題に上ることが少なくなってきたけど
あの事件に関わった人たち、事件に注目していた人たち、
発言していた人たち、みな事件を忘れたわけじゃない。
 
表彰された富岡警察署は表彰されたままなんでしょうか?
この、無理スジで力ずくで不自然な起訴、立件、裁判、
誰も責任は取らないんでしょうか?
「無罪だったね、よかったね。」で終わり?
逮捕した警察も、起訴した検察も
「有罪にできなかったね、まいっか。」で終わり?
何が悪かったのか、今後何を正さなきゃいけないのか、
その検証は逮捕/起訴した側の誰かがやるのでしょうか?
そーゆーことはしないまま、うやむやで終わるんでしょうか?
 
無罪確定なんだから、あの逮捕が表彰に値しないのは明白です。
富岡警察署の福島県警本部長賞を撤回してください。
逆に医療崩壊の引き金を引いた逮捕と起訴こそが“有罪”です。
警察と検察は謝罪してください。
見える形で責任を取ってください。
 
 
しつこくて申し訳ないようですが私は忘れません。
世の中が忘れそうになったら絶対また蒸し返します。
まだまだ考えるべきこと、議論すべきことも山盛りです。
 
 
 
去年、うちの病院の病棟でボールペンを配ったことを書きました。
ボールペン作戦に参戦! -つよぽんの避難所-
私がボールペンを配った整形と産婦人科のスタッフ、
今もあのボールペンを胸ポケットに入れて使ってくれています。
 
私の手元にもまだ、あのボールペンが何本かあります。
私が最初に100本の注文をして届けられた青いボールペン。
青がすべて配りつくされたあと、追加で配られた黒いボールペン。
そして判決日ではなく逮捕の日を刻印したピンクのボールペン。
 
1

 
あのボールペンを持っている人へ
 
インクがなくなってもボールペンを捨てないでください。
替芯を入れ替えればずっと使えます。
詳しくはボールペン作戦を始めた先生のブログも、ご覧下さい↓
ボールペン作戦会議室(最終回)
 
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私は手元に置いて、使い続けます。


2

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2008年9月 5日 (金)

無罪確定、そしてこれから...

昨日、9月4日の午前0時、
大野病院事件。本当の本当に加藤医師の無罪が確定しました。
 
見守っていた人々が、我々が、無罪が確定した今だからこそ
やっと語れること、始められること、仕切り直せること、
いろいろあるように思います。
 
「無罪」が確定してからでないと言えないと私が思っていたこと
ためていたこと、取り止めなくずらずらと書いてみます。
冗長な駄文になりますが…書きたいんだから書いちゃうもんね!
 
 
 
8月20日に福島に行ったことを某SNSの日記とこのブログ
両方に書きましたが(8月20日、福島レポート
それに対する、ある友人のコメント↓
 
>ともあれ、一年後、果たして医師でない人たちのうち、
>何人がこの出来事を覚えているのかしら。
>ま、忘却は人間の短所であり長所でもあるのですが。
 
人間は(と言うか日本人は?)忘れるのが早いです。
無罪確定は心からよかったと思うんですが
確定したことで裁判そのものにはもう新しい展開はないわけで、
完結した、議論が終了した、と人々の関心が薄れ
風化していくのかもしれないと思っています。
 
1年後にどれだけの人がどれだけこの出来事を覚えているか…
私自身もどれだけ問題意識を持続できるか…わかりません。
今よりは記憶や実感は薄れていく。それは仕方がない。
ただ、1年後の社会にこの出来事が何をどれだけ残すか?
何かが残るように導かないといけないと思う。
 
持って行きかた、は慎重に配慮すべきでしょう。
加藤医師は福島で産婦人科医としての業務を再開するらしい。
それを邪魔するようなことになってはマズイ。
そうならないように配慮しつつ、でも医療が再生するまでは、
この事件で浮き彫りになった問題点が風化しないように、
医療者、非医療者みんながしっかり抱えたまま手放さずに
考え続け、そして何かをし続けていなければ。
 
判決が確定して「無罪」を前提にすることで初めて
検証できること、検証すべきことがあるのではないか?
 
結論(=判決)が出たのなら今度は“過程”を厳しく裁かなきゃ。
何が悪かったのか、誰が悪かったのか、うやむやにせず
直すべきところは直す、責められるべきヤツは徹底的に責める。
追求すべきはキッチリ追求する必要があると思う。
  
例えば警察や検察。
  
逮捕を手柄だと警察が表彰されたこと、そのままにはしておけない。
無罪だったんだ、それでいいじゃん、で終われない。
むしろ責任追求と加藤医師への謝罪が当然と思う。
冤罪事件を作って医師一人をボロボロにしたことが
表彰されたままでいいわけがない。

判決後の検察のコメントをニュースで見ました。
公判に当たった検察幹部の発言↓
「地元の捜査幹部は20日、判決結果に疑問を呈しながらも、
 公判で議論した意義があった点を強調した。」
これも素通りできない。言わせっぱなしにしておけない。
判決が下されてもまだ何もわかってない。
検察や警察がこの調子じゃ、また…
「公判で議論する意義がある」と彼らが勝手に判断すれば
同じ悲劇は繰り返されますよ。
 
 
そして遺族。
 
「残念な結果として受け止めるとともに、
 今後の医療界に不安を感じざるをえない」
つらい思いをしたのは十分承知の上です。
判決への不満も憎しみも変わりっこないんだろうと思う。
でも(難しいんだろうけど)
「心情的に不本意だが判決は妥当だった。」
と納得してもらえてはじめて何かが終わる、
終われるんじゃないだろうか。
 
医療を施す側と受ける側の間にある壁や溝、
この事件をきっかけに理解し合える人とは理解し合えました。
でも理解し合えない人とのギャップは更に広がった気がしてます。
 
無罪確定という終わり方に我々が胸をなで下ろすその隣で
不当判決だ、有罪だ、という考えを持ち続けつつ
「もう言っても無駄だし」と沈黙した人もいるはずです。
そういう人たちは今までより語らなくなるのかもしれない。
聞こえなければ届かない。
聞こえなくなることが解決じゃない。
異論のある人が沈黙してしまうようになったら
静かにはなるけど本当の解決への糸口は、
手の届かないところに潜っていくだけなんじゃないか?
 
決定的な決裂を避けながらも、ぶつかりあう。
それができる環境を維持し続けなきゃならない。
気が遠くなるけど、これからも…。
 

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2008年8月30日 (土)

8月20日、福島レポート

大野病院事件の判決が下った8月20日、
無罪判決でホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、
医師と患者の対立構造を煽り、両者の溝をほじくり返すような記事が
判決の20日を境に、かえって目立つようになった気がしていました。
(そういう目で追っているからかもしれませんが。)
 
検察が控訴できるタイムリミットは判決後2週間です。
そして10日を経過した昨日8月29日、
「福島地検は控訴断念」というニュースが流れました。
確定した…やっと少し喜べる自分がいます。
 
27日から「控訴断念を検討中」という記事は出ていましたが、
それでもまだ私は素直に喜べない、座り心地の悪い気分でした。
「控訴を断念することになりそうだ」そういう記事をリークして
「断念するな、控訴しろ!」という世論を喚起しようとしているのかも。
踊らされないように用心深く考えなきゃ、用心深く発言しなきゃ…。
考えすぎと思いつつ、勘ぐって口が重たくなる自分がいました。
(いや、私が吠えたって何も変わらないわけですが(^^;))
 
 
ということで無罪確定となった今、
(なにが「ということで」なのかわからんけどw)
ブログを10日間放置していた私の超個人的福島レポートです。
 
 
8月20日、
水曜日の平日ですが私は外来を休診にして福島に行きました。
判決公判開始は10時ですが私が福島に到着するのは11時頃。
シンポジウムは午後2時からなのでそれに間に合えばいい。
と思いつつ、開廷の10時前後は運転しながらそわそわしてました。
 
速報が出るのは何時頃だろう…。
無罪だったら?有罪だったら?
判決のあと、何か自分の心に変化があるだろうか?
 
そんなことを漠然と考えながらの高速道路上
クルマを福島に向けて走らせる私に
10:04 携帯メールが入りました。
東京から福島入りして裁判所の前にいる友人K医師からです。
サービスエリアに入って駐車し、メールを開く。
 
今判決出た。無罪!
 
うん…。ちょっと放心…。
そして「ありがとう!!」と返信。
何に“ありがとう”なのか自分でもよくわかりません。
判決に?メールをくれたK氏に?
それから約30分…車を止めたままなんとなく脱力状態w
運転席に身体を沈め、晴れ上がった空を眺めていました。
中古つよぽんカーはオープンです
 
10:45 同じKさんから再度メール。
「ホテルグリーンパレス701に集合」
ん?…どうやら、シンポジウム出席のために
全国から福島に集まった仲間が集合するらしい。
なら急がねば。私はまた車を走らせました。
 
到着。
ホテルの701号室は和室のある広い部屋でした。
すでに十数人の医師、ジャーナリストが集合していました。
仲間、顔見知り、知っている顔がたくさん。
それぞれに皆、明るい表情で賑やかに話しています。
付けたままのテレビに無罪判決の報道が流れました。
スッと静かになり誰かがテレビのボリュームを上げ、聞き入る。
その報道の一語一句にまた議論が始まり賑やかになる。
 
と、そこに…「駅前で配ってたよ。」
そう言って部屋に入ってきたある医師の手には号外が。
 
Photo
 
皆でのぞき込む。「福島民報」の号外でした。
見出しを、記事を見て誰かがツッコミを入れました。
「無罪判決なのに、まだ“過誤”って書いてる!」
 
さて、そろそろシンポジウム会場に行きましょうか。
会場は同じホテルの大きな会議室です。
準備を手伝う人、受付をする人、しゃべる人、
それぞれがそれぞれに移動し、動き始めました。
 
シンポジウムの内容は…私が下手に書くよりは…
下記で詳しくレポートされているので興味のある方はどぞ。
(て、手抜きって言うな〜w)
シンポジウム
『福島大野事件が地域産科医療にもたらした影響を考える』

 
想像していたより大規模な企画、大勢が集まったなーと。
特に、国会議員が何人も来ていたのは意外でした。
それぞれ座長の上先生がコメントを求め、発言しています。
 
記者会見を終え、遅れて会場入りしたのは
福島県立医大産婦人科教授・佐藤章氏。
その日一日の疲れが顔に出てはいるけれど安堵の表情で
「皆様方の多大なるご支援のおかげをもちまして…。」
深々と頭を下げる姿は、逮捕から2年半の重みを想像させる
本当に心のこもった姿でした。
 
シンポジウムですから後半は会場からの発言も含めた
ディスカッションです。そこでも集大成的に事件を振り返る、
そしてこれからの医療を考える貴重な発言が次々と…。
書ききれません。(←最近このフレーズが私の逃げ口上(汗))
 
シンポジウムは30分延長して終了。
うん、来てよかった。さてメシでも食ってから帰ろうか。
無罪の第一報をくれたKさんと二人、福島駅に向かいました。
駅前の横断歩道、赤信号で立ち止まっていると
横断歩道の向こう側にシンポジウム会場で見た顔が…
 
つよ「ありゃ、ほらほら、あれ鈴木寬じゃね?」
K氏「あ、ほんとだ。」
 
シンポジウムで発言もしていた民主党の鈴木寬さんでした。
信号が青になり鈴木寬議員と我々二人はすれ違う。
すずかんさんに「シンポジウムお疲れ様でした。」と会釈だけして…
と思いきやKさん、すれ違いざまに、すずかんを引き留め
「ちょーっといいっすかぁ?」
路上で羽交い締めしそうな勢いで参議院議員に議論ふっかけるw
恐るべし、Dr.K…ぃゃそゆ性格なのは十分知ってましたが(笑)
 
「教育から変えていかなきゃダメです。
 中学校で医療の現状や今後を考えさせるプログラムを。
 小学生には難しい、高校生にはストレートに伝わらない。
 中学でそういう教育するのがいい。必要なんですよ。」
 
すずかんを拉致してスイッチオン。持論を熱く展開するK氏w
また素晴らしいと思ったのは、このゲリラ的な急襲をかわさず
呼応して、がっぷり受けて立つすずかんさんでした。
 
「うんうん、先生のおっしゃるとおりです。
 私も医療に限らず教育は本当に大事と思っている。
 教育の再興、コミュニティスクール…構想を進めてますよ。」
 
私も加わり、しばらく路上ゲリラ討論は続きました。
ふむ、なかなか熱い人です、すずかんさん。
 
そして駅ビル内でメシ(うなぎ釜飯w)食って…
外に出れば少し涼しさを感じる晩夏の夕暮れ時。
 
いつもパワフル、ハイテンションではあるけれど
福島で更にスイッチオンして壊れた大型犬、K氏に見送られ
中古つよぽんカーの幌を全開にして、
気持ちのよい風と夕焼けに染まった赤い景色の中、
 
「無罪」
 
あらためて脳内で反芻しつつ帰路に着いたのだった。
 
 
ということでシンポジウムだけでなく、
その前後も得るものが多かった私の8月20日。
メインとなるはずのシンポジウム中抜きの(?)
超個人的福島レポートでしたm(_ _)m

 
 
−後記−
 
…無罪判決。そして控訴断念。
よかったです。
 
ひとつの区切りにはなりうると思います。
でも私の中でこの事件は終わってません。
などとわざわざ書くと「当たり前だ」と突っ込まれちゃいそうです。
おそらく他の多くの人たちにとっても終わりじゃない。
医師の立場で、遺族の立場で、報道の立場で、一般の人々の立場で、
そして無罪を望んだ人にも、有罪を望んだ人にも、
それぞれの「終わらせられない何か」があるはずです。
 
終われないってだけでもない。更に…
この8月20日の前後、無罪判決とその報道、膨大な情報、
ニュース、論説、ブログ、掲示板での意見、議論。
ネットで、テレビで、誌上/紙上で、新しく見えてきた壁もある。
 
 
まだこれからです。
振り返りつつ一歩また前へ…。

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2008年8月20日 (水)

X−day、8月20日という日

おはようございます。8月20日の朝です。
 
8月9日の夏期研修会の記事、
今日20日までに完成させようと思ってたんですが
気負っちゃったら筆が止まって前半書いて頓挫してます(汗)
すんません
 
ちょっとそちらは置いといて…
 
今日は仕事を休んで、これから福島に行きます。
 
大野病院事件、判決公判は20日午前10時開廷だそうです。
一般的な、裁判で判決が下されるときの時間経過とかよく知らないんですが
すぐに判決文が読み上げられるとすれば、お昼には判明してるのかな?
 
 
私は今日、これに参加してきます↓
シンポジウム「福島大野事件が地域産科医療にもたらした影響を考える
 
 
 
ボールペン作戦の記事の最後に書いたんですが…
 
 
>そして…X−day 
>判決の8月20日は何かが変わる日になるかもしれません。
>有罪判決が出ても、無罪の判決が出ても、きっと何かが動きます。
>日本の医療の向かう先が、今よりもう少し見えるかもしれません。
> 
>注目していてください、8月20日という日に…。
 
 
裁判を傍聴するわけじゃありませんが、
「8月20日」を自分の目で見てきます。
 
福島は日帰りですが、行ってみて、
言いたいこと、書きたいこと、伝えたいことが湧いてきたら
ブログにも「私の8月20日」を、なにか書くかもしれません。
 
…し、書けないかもしれません。

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2008年8月14日 (木)

8.9 夏期研修会 その2(野村麻実氏)

さて、夏期研修会レポート その2
 
長〜〜い前振りのその1に続いて本会のレポートに入りますが
…実はあちこちで参加者、取材者によるブログやニュース記事、
詳細なレポートがすでに書かれちゃっているんですよね…。
あたた〜「なんちゃって記録係」の私は洋梨鴨…σ(T_T)
 
いやいや、めげないもんねw
 
さて本会のスタートは医療制度研究会の理事長、中澤堅次氏の挨拶から。
この夏期研修会開催に至る経緯です。
 
この研修会、企画当初は…
「医療制度研究会の幹事で集まって勉強しようね〜。」
というものでしたが、構想を練っているうちに若い会員たちが
どんどん内容をふくらませていくことになり、
このような二部構成の会ができあがりました。
企画立案の経過でドタバタして開催の紹介が遅れたりもしましたが
(私もドタバタアタフタしたうちの一人かもw)
たくさんの方々にお集まりいただいてありがとうございます。
(企画がゼロから動き出して1ヶ月でした…よくぞここまで…)
 
今日は二部構成。
 
第1部:大野病院事件から第三次試案大綱までを振り返る
第2部:医療崩壊から医療再生への模索
 
と会の概要と演者を紹介し、本会スタート。
 
 
 
【大野病院事件によって浮き彫りにされた問題点】
 
国立病院機構名古屋医療センター産婦人科 野村麻実氏

 
講演内容の詳細は私が議事録的に記載するよりも…
ブログ「産科医療のこれから」できっちり記事にされています。
野村麻実氏の講演の完全版を見たい方はこちら
(やっぱり…お、お得意の手抜きつよぽんか…(-_-;))
 
まずは事件の概要の説明から野村先生の講演は始まります。
 
加藤先生は術中エコーまでやって体部をU切開してアプローチ。
これは十分先進的な医療について勉強している処置、対応です。
と、加藤先生が技術的に信頼のおける医師であったことを強調。

一人医長…病院に産科医は一人。我々整形外科もそうですが
病院の診療科を一人でやっていると勉強や議論の機会が減り
だんだん「自分のやり方」だけに偏りがちになります。
加藤先生は一人医長をしつつ、よく勉強している先生だった…。
 
そして逮捕までの経過を説明。
 
ミスを認めたら遺族への補償がしやすくなる。だからか…
県の事故調査委員会はミスを認める見解を出します。
その報告書から警察が動き出し…逮捕へ。
…これが全ての始まりでした。
 
野村先生はそこから先も経時的に事件を説明しつつ
時間の流れのポイントポイントで立ち止まり、
たたみかけるように次々と問題点を指摘していきます。
 
・医師法21条違反?
 →そもそも当事者側(病院、医師)は死亡に至る経過を
  正当な医療の結果と判断していたのだから
  届け出なかったのは当たり前じゃないのか?
 
・在宅起訴じゃなくて逮捕?
 →逃亡の恐れもないのに、どーしてタイーホなんじゃ!?
  人質司法…逮捕して自白調書を取る(密室で吐かせる)ため?
 
・医師逮捕で富岡署が表彰?
 →逮捕しにくい職業や立場の人間を逮捕すれば手柄?
  現役の政治家逮捕したらスゲーぜ!と同じ感覚ですか?
  医者を逮捕したのはGJ!!…ってことかよ!?
 
・そして福島の医療は…?
 →事件前でさえ医師不足〜崩壊が進んでいた福島県なのに
  トドメを刺すつもりなのか…!?
 
・鑑定医の専門性は?
 →産科の専門的な判断をなぜ婦人科医に委ねるんじゃ?
  (鑑定医はなぜか産科領域に明るいとは言えない
   婦人科、腫瘍を専門としている教授なのだった。)
  だから弁護側は産科領域の専門家の発言を集めたのに…。
  
・しかしマスコミの論調は…
 →「産科の権威を集めて医者のかばいあいかよ」という論調。
  より専門的に信頼できる証言を集めて何がいけない?
  それを“かばいあい”と言われたら…どうすりゃいーのだ!?
 
・医師の裁量権って?
 →医療のプロが素人な検事に問われ、素人の裁判官に裁かれる?
  勉強し、理解しようとしているならまだしも…
  そもそも産科と婦人科の専門性の違いすら理解してないのが
  鑑定医の選択からも明らかだし。
 
・大山鳴動してねずみ一匹?
 →2年半の大騒ぎをして求刑は…禁固1年+罰金10万円…orz
  受けた求刑と社会的制裁の落差があまりにも大きい、
  そして起こした社会現象との落差はもっともっと大きいよなぁ
 
・刑事訴追で裁けるのは何?
 →刑事裁判って個人を罰するシステムでしかないっすよね?
  例えば助手をした外科医、麻酔科医、院長、看護師…
  関わった他の人間に起因することは争点になりにくい。
  医療ってチームで行うものでありシステムなんだけどね。   
  だから「医療と裁判ってそもそも相性が悪いものである。」
  というのは納得です。

・裁判というものへの誤解
 →裁判とは…真実を探す場でも弱者救済の場でもない。
  正当性を主張しあう戦う場でしかない。
  医師は「自分は悪くなかった!」と言うしかない。
  そんな戦場では患者家族の心の傷は広がるだけ…ですよね。
  でも、裁判は弱者救済の場ではない、というのも事実です。
 
 
た〜くさん書いた気がしますが、それでもかなり省略してます。
んで私の主観もごちゃ混ぜになってます(-_-;)。ご容赦を。
 
そして講演の締めに入った野村先生が提示したのは…
この事件を境に急カーブを描いてどんどん減っていった
福島の、日本の、産婦人科医師数のグラフです。
 
事件をきっかけに起こった社会現象はなんだったのか、
地域医療はどうなったのか、どうなっていくのか、
考え続けなければならない。
 
最後はこのスライドでした。
21_2_2
シンポジウム
福島大野事件が地域産科医療にもたらした影響を考える
 
 
 
30分という短い時間に大野病院事件を全て凝縮した講演でした。
スゲー、よくまとめたよなぁ…野村センセ、GJです。
聞いていて感じたのは、辛辣なコメントをマシンガンのように
あれだけ乱射(?)しつつも、患者側、遺族側を否定・批判する
ような発言が一切なかった、ということです。
んなこと書くと野村先生には「当然じゃん」と言われそうですが
判決の日を間近にひかえるこの日の講演ですし、ね…。
 
 
 
…記録係とか議事録とかって気合い入れちゃったもんで
なるべく講演内容を漏らさず伝えようと頑張り杉ました。
自分らしくないエントリーになった気もしますが…(^^;)
でもせっかく書いたしのもったいないから出しちゃいます!
 
次回メディア側からの提言「真々田さんの巻」はもうちっと
軽め短めに行きます。とか言ってまたこんな感じになるかもなぁ…。 
私って根が真面目だからなぁ…。 
   ↑
突っ込みどころじゃありません、断じてw

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2008年7月15日 (火)

ボールペン作戦に参戦!

タイトル見て「あ、あれね。」とうなずく方もいれば
「なんじゃそりゃ?」と思われる方も…?
 
福島県立大野病院産科医逮捕事件
ご存じの方には今さらな話題の有名な事件ですが簡単に説明を。
 
2006年2月18日、一人の産婦人科医が逮捕された事件です。癒着胎盤という予測困難な病態だった妊婦が帝王切開中に死亡しました。この産科医は限られた状況下で持てる技術を駆使して必死で妊婦を助けようとしましたが力及ばなかった。そしてこの医師は業務上過失致死と医師法違反で逮捕されます。マスコミが押しかけた中で手錠をかけられた姿が全国に報道されました。
 
この逮捕、この裁判は医療の世界に大きな影響を与えることになりました。地域医療の現場を担う医師にとってはショッキングな事件です。これで逮捕されるなら出産を扱うことはできない。産婦人科を志望する研修医は減り、お産を扱うのをやめる医療機関が続出し、「出産難民」という社会現象まで引き起こしました。
 
ハイリスクな医療現場で頑張りすぎる医師は自分の身を滅ぼす。…心を折られたのは産科医だけではありませんでした。リスクの高い医療を担っていた医師、地域医療に貢献していた良心的な医師が次々と現場を去るきっかけを作った事件となりました。
 
この裁判、来月の8月20日が判決です。この産科医が無罪となることを願う人たちがネット上で支援運動を開始しました。それがボールペン作戦です。
 
「我々は福島大野病院事件で逮捕された
 産婦人科医の無罪を信じ支援します。」

 
という一文が「8月20日」という日付と共に印刷されているボールペン。これをネット上で申し込みを受けて配布し寄付を募る。集まった寄付金で更にボールペンを発注する。ネット上で使える力はパソコン画面上の文字の力と文章の力のみ。この企画はその壁を超えるシンプルで秀逸なアイデアと思いました。賛同する人のボールペン申し込みが続き、寄付が続けばこのボールペンを使う人は増え続け、この事件を知る人も増えていきます。

Ohno_ballpen_edited
 
で、私は…申し込んで1万円を振り込み、1週間ほどで100本のボールペンが宅急便で届きました。
 
P1000112
 
まず足元からということで、うちの病院の整形外来、整形病棟、整形/産婦人科混合病棟(うちの病院には整形と産婦人科の混合病棟があります。このボールペンを配るには絶好。)、それぞれの看護師に配りました。あと総務課や医師などにも。
 
ボールペンを配ってみてビックリしたこと…。
看護師が意外と大野病院事件を知らないんです。ありゃりゃりゃ(-_-;) 我々医師の中では超有名な事件です。報道もされてる。あちこちのブログやネットのニュースでも話題になっている。そもそも医療崩壊の大きな引き金のひとつと言われている事件。私は「医療従事者ならほとんどみんなが知っている」ような錯覚をしていましたが…思い違いだったみたい。
 
事件を知らなきゃボールペンを使ってもらっても意味がない。各病棟、看護師の人数分のボールペンと一緒に、大野病院事件を解説した記事のコピーを渡して回し読みしてもらいました。ついでに、実際どれくらいの看護師が知っていたのか知らないのか、気になったのでアンケートを取ってみました。

Q:大野病院事件を知っていましたか?
 
A:整形外科病棟の看護師(24名)
   知っていた:3  なんとなく知っていた:4  知らなかった:17
 
A:整形/産婦混合病棟の看護師(助産師を含む20名)
   知っていた:11  なんとなく知っていた:3  知らなかった:6

 
産科医療に従事する看護師でも意外と事件を知らないんだなぁ。それ以上に、整形病棟では2/3以上の看護師がボールペンを渡すまで全く知らなかったと…。いえ、医療従事者なのに知らないのがいけないとか「なっとらん」とか、そういうつもりはぜんぜんないんです。ごく一般的な看護師のアンテナに届くような報道や広まり方をしていない、それだけのことです。そして医療従事者でこの数字ですから、たぶん一般の人々の認知度は更に低いでしょう。そんなものなのかもしれません。
 
身近な…自分が働く職場の大野病院事件認知度にちょっと拍子抜けと言うか寂しい気がしましたが、視点を変えれば…こりゃボールペン作戦っつーのは威力を発揮するはずだゾと。病棟に限っても私は44本のボールペンを配ることで30人の看護師に大野病院事件を知ってもらったってーことです。配るにあたって強制的に事件の記事読ませたし〜(笑)
 
このブログ記事をたまたま読んじゃったあなた!
ボールペン作戦にちょっと絡んでみませんか?
1本欲しいだけなら返信用封筒を入れて封書で申し込むだけですYO♪
 
まずはポチッとw
 ↓
ボールペン作戦メインサイト
 
 
そして…X−day 
判決の8月20日は何かが変わる日になるかもしれません。
有罪判決が出ても、無罪の判決が出ても、きっと何かが動きます。
日本の医療の向かう先が、今よりもう少し見えるかもしれません。
 
注目していてください、8月20日という日に…。

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