医師の誤診と悪意シリーズ

2008年5月23日 (金)

ギブ&テイク (医師の誤診と悪意 その5)

ブログ記事としてシリーズにしてしまったこの「医師の誤診と悪意」。
 
その2でも書きましたが、このシリーズは…
「患者と医師の人間関係とは?」
を大きなテーマとして、気の向くままに続けていこうと思います。
“誤診”や“医師の悪意”の話からズレたりしますがお許しをm(_ _)m
 
 
で、今回は「医者の卵と患者の関係」をネタにしてみます。
 
ちょっと前の話、これもSNSの某コミュニティなんですが、
「大学病院のデメリットについて」というトピックが立ちました。
大学病院で治療を受ける女性の患者さんらしき人の書き込みです。
 
大学ではモルモットにされる、
診察の時、周りにぞろぞろと若い学生や研修医がいる。
そんな彼らに身体を、裸を晒さなきゃいけないのが苦痛だ、
というようなトピ主の独白から始まりました。
 
その後のコメントでトピックは荒れました。
「若手医師や学生に学ぶ場を与えるなと言うのか?」
「大学という最先端の施設で治療を受ける対価でしょ?」
医療者側と患者側の意見の対立、感情の対立。
しばらくしてトピックは立てた本人によって削除されました。
荒れたトピックのお決まりのコースです。
 
私は「医療者と患者」という人間関係においては
お互いがお互いの鏡だと思っています。
よき患者であろうとする者ほどよき医療を受けられる確率が高い。
よき医療者であろうと努力する者ほど、患者が信頼し心を開き、
医療者と患者のチームプレイが成立しやすい。
結果として予想以上の効果が得られることもある。
 
大事な自分や自分の家族の身体を“医療”に預けるとき…
その姿勢、気持ちのスタートラインが懐疑的だったり、
頼るばかりで過度に依存的であったり、そして、
ギブなしのテイクだけで当然というスタンスであれば、
相手も(気持ちの上では)それなりの対応になりがちです。
医療者も感情を持った人間ですから。
 
こじつけっぽいかもしれませんが…
 
ポリクリ(臨床実習)の医学生やローテーターの研修医と患者、
という関係もほんの数日〜数週間の一時的なものかもしれないし、
言葉も交わさないその場限りのものかもしれない。
でもそれも小さな人間関係だと思ってもらえないでしょうか。
別に裸を一般人に大公開するわけではない。
「将来において何千人何万人の命を救う仕事をする貴重な若者達」
医学生、研修医、看護学生、新人看護師…
彼ら、彼女らをそういう目で信頼してみてもらえないでしょうか。
知識も技術もしっかりした医師、看護師に心を開くと同時に
頑張っている新米医療者に心を開く
医療者になろうと勉強する学生に心を開く
そういう懐の深さ、広さを持つ患者ほど
医療を施す側も心から助けたい、
治してあげたいと思うのではないでしょうか。
 
 
…以上、医療系の別トピック上で私が書いた文章です。
(ブログ用にちょっと改変しました)
それに対して、ある非医療者の方からのコメントが印象的でした。
発言者の許可を得てペーストします。
 
 
最新の医療をベテランの医師のもとで、見世物にならずにうけたい。
 医師不足の現状を知っていても、新人の養成に協力したくない。
 そういう思いは、たしかにあってもしかたないのかもしれません。
 
 あのトピをみて「ちいさな白いにわとり」の話を思い出していましたが、
 「ギブなしのテイク」まさにそうですね。
 見学などへの協力ということもですが
 嫌なことは嫌だと意志を伝える努力も「ギブ」だとおもいました。
 なにも意思表示しないでは
 良い人間関係は築けないものだと私もおもいます。
 
 
…眼から鱗。ああ、そうか…と思いました。
 
嫌なことは嫌だと意志を伝える努力も「ギブ」。確かに…。
そして、その「嫌だ」を受け止める“気持ち”を医療者がもつこと
それも「ギブ」なんだな。正直言って私にその発想がなかった。
 
「ギブ&テイク」でいきましょうよ、と医療者側が“求める”こと自体
それそのものが「求めること=テイク」の構造だったりはしないか?
 
考え過ぎかな(-_-;) 
でも、ムリに、とか、我慢して、とかじゃなく自然に
「私は相手に対して“ギブ”のスタンスでありたい。」
と思うこと、思われるような関係であること。
そうだったら素晴らしい…だけど難しいんでしょうね。

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2008年5月19日 (月)

医師と患者の依存関係(医師の誤診と悪意 その4)

医師の誤診と悪意 その1 その2 その3

その3で、医師と患者の関係を男女関係に例えてみました。
 
大雑把に言えば、恋愛は原則として相互依存関係。
医師と患者は、一方的な依存になりがちな性格のものです。
 
いや、男女も昔は一方的な依存だったかもしれないですね。
男女関係、時代によっても変化しているんでしょう。
例えば“亭主関白”なんて言葉、最近聞かなくなりました。
でも男尊女卑な時代でも、男性を手のひらの上で転がして
上手にコントロールしていた賢い女性も多くいたはずです。
 
医療も変化しました。
 
昔「医療」に対して患者は盲目的に依存していたと思います。
信じ、頼り、すがり、結果に対して文句は言わない(言えない)。
「患者は黙って医師の言うとおりの治療を受ければよい。」
今やそんな時代じゃないことは明かで、それはいいことです。
でもその変化、まっとうな方向にだけ向かってるだろうか?
 
いずれにせよ、少なくとも医師と患者という人間同士が
お互いを疑い、対立する関係にあったら良好な関係は望めない。
 
もっとマクロで見て、医療崩壊。
今、日本という家庭の“医療”という夫婦は…?
 
夫(医師)が妻(患者)を捨てて夜逃げ(逃散)してる?…(-_-;)
夫が甲斐性なしのヘタレな旦那だからでしょうか?
それとも鬼嫁(モンスターペイシェント)が増えたからでしょうか?
我々医師も、信頼される医療を提供するようにしなきゃいけない。
これは大前提です。そしてその上で…
医療を受ける側も、医療に対する信頼と優しさと包容力を示してくれれば
医療を受ける側が、医療を上手にコントロールする賢さを考えてくれれば
夫婦喧嘩も離婚も防げるのかもしれません。
 
ごちゃごちゃ書きましたが、例えが大雑把すぎたようで
かえってわかりにくくなっちゃいましたね…ww
 
医療現場を、男女の、恋愛の人間関係に置き換えて見えてくるもの、
たくさんありそうです。単純に置き換えられないこともあります。
置き換えられないからこそ 矛盾や問題点が明らかになる、
置き換えられないものは何か、置き換えちゃいけないことは何か、
そう考えると見えるもの、もっとあるような気がします。
 
各論でピックアップすると、また面白いかもしれません。
ちまたで見る恋愛ドラマや映画、そしてリアルの身近な男女の物語。
いろんな恋愛の形、いろんなキャラ、主役、脇役、悪役…
「セカンドオピニオン」も「インフォームド・コンセント」も
「誤診」も「悪意」も、恋愛、男女関係に投影すると
面白いものがいろいろ見えて、面白いことがいろいろ語れそうです。
 
 
ズレちゃいますが
男女関係を医療に投影すると医療の人間関係が見えてくるなら
医療を恋愛に投影すると男女の人間関係が見えてくるかも。
…と、これはまた別な話ですね。
 
 
ん〜…読み返したらホントに駄文でした…orz
まあいいや。うpしちゃいます。

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2008年4月 6日 (日)

誤診と悪意 その3 〜医師と患者と恋愛関係〜

医師の誤診と悪意 その1 その2

【医師の誤診と悪意 その2】の文章を書いてから
医学は科学だけど、医療ってもっとホニャララだな、とか
ウンチャラカンチャラだな、とか、グダグダ考えてました。
医療って“医療技術vs疾患”で完結するはずがなく
(当たり前だけど)“医師vs患者”人対人のぶつかり合うフィールドで、
だから面白かったり難しかったりするんだな、と…
実は物理数学が超苦手で文系人間だった私は思っちゃったりしてました。

「では患者と医師の人間関係とは?」

などと考え始めたら言いたいこと、書きたいこと、
逆に聞きたいこと、知りたいこと
あふれるように湧いて出てきて収拾不能に…

そんな混沌とした頭ん中で湧いたひとつの例え。
これ、考えるきっかけとして自分なりにヒットでした↓

医師と患者って、男女の恋愛関係にちょっと似てませんか?

悪い男にしか惹かれない女、いますね。
ちょっと悪いヤツほどSEXは上手だったりして…w
平凡でたいした能力もないけど誠実なヤツもいる。
白馬の王子様を夢見すぎて婚期を逃がす独身女性。
一途な女は男を盲信するけど思い通りにならないと反撃こわいっすね。
完璧な男なんていませんね、完璧な女もいないけど。
あと、社会や時代や国で恋愛のカタチも変わるものですかね。

ドクターショッピングは浮気性?
自分の彼氏に妥協できず、彼氏の魅力を気付けなくて
男を取っかえ引っかえしたあげくに結局幸せをつかめない女か。

…セカンドオピニオンは?
今の彼氏への不満を異性の友人に相談すること?
それとも二番目のお見合い?再婚?

つまるところ、医師と患者も男と女も人間関係。
愛憎入り乱れる不完全で不安定な…?
んー深い(-_-;)

       …で、このシリーズは続くのであった…(笑)

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2008年4月 1日 (火)

医師の誤診と悪意 その2

その1はこちら

「時々新聞等に登場してくるような悪意のあるお医者さんもいる。」
「医師の誤診や悪意から逃れるためにもセカンドオピニオンは必要でしょ?」

医療コミュニティでそんな問いかけを受けました。
私に対する名指しの質問でした。

それがセカンドオピニオン?…なんか違うよなぁ…。

私は違和感を覚えました。
しかし医師側からの視点と、患者側からの視点。
立ち位置が違えば考え方も同じになるはずはない。
違って当然。だから対立も憎しみも生じる。
そしてすれ違いも争いも医療訴訟も。
でも感謝や慈愛や感動も、医療現場にはある。
それが日々小さなドラマを見せてくれたりもする。

最初の問いかけは“疑う”ことから始めている。
なぜ“信じる”ことから始められないんだろうか?
ややこしいこと考えずに、
患者が医師を信頼する、医師が患者を信頼する、
みんなが信頼関係というスタート地点から始められたら…
医療現場はもっと単純明快に、ハッピーなるだろうに。

そんな脳天気なことを考えて自分なりの回答を作り
そして新たな議論のテーマとして投下しました。
そのタイトルが「医師の誤診と悪意」です。
そのあと「患者と医師の人間関係とは?」という議論に展開し
2日間で250以上のレスが付き、有意義な内容満載で、
起承転結のある秀逸なトピックに育ちました。

その時に書いた最初の…
議論のきっかけになった文章を
ブログ用に少しだけ改編して紹介します。
んでこのネタ、しばらくその後の議論の展開から
自分の発言を抽出するシリーズで行きます。

ん?手抜き? 気のせいです┌( ̄0 ̄)┐

このブログ読んだ方も…気が向いたらコメント下さいね〜


【医師の誤診と悪意】 byつよぽん 2007.06.11

他トピでご指名の質問を受けてのトピ立てです。

医師も誤診することがあります。悪意のある医師もいる。
そういう場合にもセカンドオピニオンは必要ではないだろうか?
そんな内容だったと思います。

「誤診を疑うならぜひセカンドオピニオンをご利用ください。
 紹介状を書くのを拒否されて、書かない理由の説明もないならば
 他医を受診してください。」

ただし○○さんのおっしゃっていた
「時々新聞等に登場してくるような、悪意のあるお医者さん」
は一般の人々が想像するより極めて少ない。
マスコミの偏った報道が医師の誤診や悪意の不安をあおっています。

少なくとも私は、どのトピックでも、
「医師は善良で不完全な普通の人間である
       →(少なくとも患者に対しては)悪意はない。」
「医師(医療)は神でも万能な存在でもない
       →誤診することも(望む結果にならないことも)あり得る。」

という前提でコメントをしているつもりです。
おそらく、ここでよくコメントをくれる他の医師達も同じではないでしょうか。

非常にまれな「医師の悪意」を想定したら何も語れません。
診断、治療に関わる患者側の間違い、詐病、
そして医師に対して悪意のある患者もわずかながら存在します。
それを疑ったら医師と患者の人間関係は最初から成立しないでしょ? 
我々医師も患者を人間として信用した上で治療しているつもりです。

医師も患者も善良である、という出発点で書いていると
「きれい事」っぽい、嘘くさい印象を持たれるかもしれませんね。
そのとおり、きれい事です。 でも、
医療という場は、人間関係においては
「きれい事」から始めなければ成り立たないのです。

以上、今の私の“医師側からの”考えです。
患者側、医師側からのご意見、それ以外の医療従事者、
患者ではないいろんな人々の意見もいただきたいです。

誤診しまくるヤブ医者、患者が札束にしか見えない悪徳医師、
詐病患者様、医療訴訟が大好きな患者様のご意見は
特に歓迎いたします(・∀・)v

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2008年3月27日 (木)

医師の誤診と悪意 その1

昨日未明、ネット上のある医療系コミュニティに「祖父の死。そして誤診。」というトピック(掲示板で言うスレッド)が立ちました。あっという間に十数コメントついて、すぐにトピックが消えた。立てた本人が削除したらしい。

某病院で祖父が手術を受けた。1週間以内に再手術になった。その数時間後に容態急変して死亡した。医師への質問と、それに対する回答はICレコーダーに記録した。自分たち家族は明らかな誤診と確信している。そんな内容でした。文章は、体裁としては質問でも相談でもなく「無念さと悔しさで言葉になりません。」という言葉で締めくくられていた。

ネット上、医療者や患者が集まる場では純粋な医療相談だけではなく、こういう発言をよく見かけます。期待した結果が得られなかった治療、現在かかっている病院、医者に対する不満、不信、疑心を吐露するもの。患者や患者家族の、直接医師に言えない感情の捌け口だったり、賠償請求や医療訴訟を視野に入れた情報集めだったり。書く人は「気持ちわかります、私も…」「別な医者に行ったほうがいい」「その医者おかしいよ」「そんな医者は叩きのめせ」そんなレスポンスを期待しているのかもしれない。

そのトピックを見て「またか…」と思ってしまった。患者は、患者の家族は「病院で治療を受けること=病気が治ること」と思ってしまう。治療を受ける側にとってはそれが自然な感覚なのかもしれない。でも医療は万能じゃない。

文章から私は主治医に対する不信、憎しみ、敵対心、結果を出せなかった医師に対する戦闘準備態勢を感じて、最後の一行「無念さと悔しさで言葉になりません。」を切り返してコメントを書いてしまいました。

「自分がこの世に存在することに価値を見いだそうと
 医師という職業についてはみたものの
 世の中にはこんな患者の家族が多い現実を知り
 無念さと悔しさで言葉になりません。」

直後、別の発言者に「まあ落ち着いてもう少し詳しくトピ主の話を聞きましょうよ。」とたしなめられた。詳しい状況を知らずに「こんな」と書いたのは軽率でした。家族をなくした直後の感情に無配慮だったかもしれない。

ここ最近、大野病院事件などを報道で知るだけでなく、私の身近な親しい先輩や後輩医師も次々と理不尽な訴えられ方をしています。罪人扱いされたり、されそうになっている私の仲間達、患者の家族から思いっきり恨まれ憎まれている私の仲間達、おしなべて患者に優しい医師であり、仕事に真摯な姿勢を持つ医師ばかりです。皮肉にも最前線で頑張り続ける情熱を持つ医師ほどそんな局面に立たされているのを目の当たりにしている。そんな背景もあって少し勇み足な発言してしまったかもしれません。

消えたトピック、医師は本当に誤診したのか? 医師は悪意を持って治療にあたったのではないはず。「よかれ」と思って自分なりの最善を尽くしたつもりでも残念な結果だったとき、家人に非難され罵倒され訴えられたら…それが私だったら?その突き刺さる憎しみを、私は黙って引き受けられるだろうか?

最近の医療訴訟、医師は「期待権の侵害」という訳のわからない理論で裁かれる。

言ってしまえば私も、他の医師たちも、毎日ロシアンルーレットをやっている状態です。医療というピストルを自らのこめかみに当てて、治療、手術という引き金を弾き「あ、今日は生き延びた。」そうやって診療を続けている。事故があれば“当たり”、訴訟で“大当たり”です。100点満点のテストで90点取っても評価されず「なぜ100点取れなかったんだ!」と責められ、10点分の失点の責任を取れと詰め寄られる。

それなら我々が学んできた医学という不確実な学問は行使すべきでないのだろうか?

確かに人間が人間に対して、命を左右するような行為はおこがましいことかもしれないとは思う。しかし合併症てんこ盛りの超高齢者であっても、誰が見てもピットフォール満載と思えるリスキーな病状であっても、放っとけば放っといたで予後不良なのが明白なのに見て見ぬふりができるだろうか? 病んでいる、傷ついている患者が目の前にいて、それを治せる(かもしれない)知識や技術を持ちながら手を出さずに立ち去れるだろうか? 最初から家族が医療不信を露わにしていたら、ミスがあったら許さんという猜疑心を露わにする家族がついてきたら…当の患者が苦しんでいても助けないのが自分にとって正しい選択なんだろうか?

結局は、凶器となりうる危ない剣を
 患者という他人に向けて振り回すと同時に
自分のこめかみに当てた銃の引き金を
 引き続けている馬鹿者共です、我々は。

でも今の私は『馬鹿者であり続けること』で自分のアイデンティティを保っているらしい。じゃ明日は? 1年後は? わかりません。願わくば今のままの自分でいたいけど。 


なーんか重たい文章を書いちゃいましたね。まいっか
次回は軽めに行きます(^^;)

ある産科医のひとりごと:大野病院事件
詳しくまとめてあるサイトです。
太い糸で縫合したからガス壊疽が起きた?!:日経メディカルオンライン
この事例も…大きなニュースになっていませんが救急医療にとっては大野病院と同じくらいメガトン級のヤバイ裁判だと思ってます。
☆医療問題を注視しる!☆
大野病院の事例をはじめとする医療問題を医療業界外の方が見事に論じています。


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