ギブ&テイク (医師の誤診と悪意 その5)
ブログ記事としてシリーズにしてしまったこの「医師の誤診と悪意」。
その2でも書きましたが、このシリーズは…
「患者と医師の人間関係とは?」
を大きなテーマとして、気の向くままに続けていこうと思います。
“誤診”や“医師の悪意”の話からズレたりしますがお許しをm(_ _)m
で、今回は「医者の卵と患者の関係」をネタにしてみます。
ちょっと前の話、これもSNSの某コミュニティなんですが、
「大学病院のデメリットについて」というトピックが立ちました。
大学病院で治療を受ける女性の患者さんらしき人の書き込みです。
大学ではモルモットにされる、
診察の時、周りにぞろぞろと若い学生や研修医がいる。
そんな彼らに身体を、裸を晒さなきゃいけないのが苦痛だ、
というようなトピ主の独白から始まりました。
その後のコメントでトピックは荒れました。
「若手医師や学生に学ぶ場を与えるなと言うのか?」
「大学という最先端の施設で治療を受ける対価でしょ?」
医療者側と患者側の意見の対立、感情の対立。
しばらくしてトピックは立てた本人によって削除されました。
荒れたトピックのお決まりのコースです。
私は「医療者と患者」という人間関係においては
お互いがお互いの鏡だと思っています。
よき患者であろうとする者ほどよき医療を受けられる確率が高い。
よき医療者であろうと努力する者ほど、患者が信頼し心を開き、
医療者と患者のチームプレイが成立しやすい。
結果として予想以上の効果が得られることもある。
大事な自分や自分の家族の身体を“医療”に預けるとき…
その姿勢、気持ちのスタートラインが懐疑的だったり、
頼るばかりで過度に依存的であったり、そして、
ギブなしのテイクだけで当然というスタンスであれば、
相手も(気持ちの上では)それなりの対応になりがちです。
医療者も感情を持った人間ですから。
こじつけっぽいかもしれませんが…
ポリクリ(臨床実習)の医学生やローテーターの研修医と患者、
という関係もほんの数日〜数週間の一時的なものかもしれないし、
言葉も交わさないその場限りのものかもしれない。
でもそれも小さな人間関係だと思ってもらえないでしょうか。
別に裸を一般人に大公開するわけではない。
「将来において何千人何万人の命を救う仕事をする貴重な若者達」
医学生、研修医、看護学生、新人看護師…
彼ら、彼女らをそういう目で信頼してみてもらえないでしょうか。
知識も技術もしっかりした医師、看護師に心を開くと同時に
頑張っている新米医療者に心を開く
医療者になろうと勉強する学生に心を開く
そういう懐の深さ、広さを持つ患者ほど
医療を施す側も心から助けたい、
治してあげたいと思うのではないでしょうか。
…以上、医療系の別トピック上で私が書いた文章です。
(ブログ用にちょっと改変しました)
それに対して、ある非医療者の方からのコメントが印象的でした。
発言者の許可を得てペーストします。
「最新の医療をベテランの医師のもとで、見世物にならずにうけたい。
医師不足の現状を知っていても、新人の養成に協力したくない。
そういう思いは、たしかにあってもしかたないのかもしれません。
あのトピをみて「ちいさな白いにわとり」の話を思い出していましたが、
「ギブなしのテイク」まさにそうですね。
見学などへの協力ということもですが
嫌なことは嫌だと意志を伝える努力も「ギブ」だとおもいました。
なにも意思表示しないでは
良い人間関係は築けないものだと私もおもいます。」
…眼から鱗。ああ、そうか…と思いました。
嫌なことは嫌だと意志を伝える努力も「ギブ」。確かに…。
そして、その「嫌だ」を受け止める“気持ち”を医療者がもつこと
それも「ギブ」なんだな。正直言って私にその発想がなかった。
「ギブ&テイク」でいきましょうよ、と医療者側が“求める”こと自体
それそのものが「求めること=テイク」の構造だったりはしないか?
考え過ぎかな(-_-;)
でも、ムリに、とか、我慢して、とかじゃなく自然に
「私は相手に対して“ギブ”のスタンスでありたい。」
と思うこと、思われるような関係であること。
そうだったら素晴らしい…だけど難しいんでしょうね。
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