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2011年6月

2011年6月26日 (日)

医療救護班@石巻 活動報告(その2)

医療救護班@石巻レポート、“その1”に続いて“その2”です。
更にダラダラgdgdなレポートでスンマセン。

5月15日(日)

5:30 起床。

 渋滞を見込んで早めに出発したが、日曜だったせいか思ったより早く到着したので日和山公園へ。高台から石巻港をのぞむ。誰が揚げたのか…見渡す限りのがれきの中にたなびく鯉のぼりが印象的だった。
 
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日和山公園から見下ろす石巻港
 
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がれきの街にたなびく鯉のぼり

8:30 エリアミーティング。

 前日の診療所の状態から予測して、6人編成チームの我々は人員的に余裕があるので(6人がかりで診察患者が1日数人ではちょっと…という)、チームを分けて日赤で言われた“二階族掘り起こし”をしてみたい、と提案してみた。行政のすることであって支援医療チームが単独でやるべきではない、という意見も出たが、何とか合意を得られ、我々なりに動いてみることになる。

午前 ○○小学校、仮設診療所。

 昨日の××高校(高台にある)よりは環境が悪い。汚泥、がれきもまだ生々しい。以前はグラウンド〜校舎の1階部分は水浸しで、その頃は3階部分に避難所があったとのことだが、今は診療所も避難所も1階に。現在滞在している避難者は23名と少ない。午前半日での仮設診療所の受診患者は2名。血圧を測って欲しい、という40歳代女性と、咽頭痛の20歳代女性。近隣を回って住民から二階族について聴取して回る。年寄りが避難所にいて若手が自宅の二階に住んでいるパターンもあるとのこと。

午後 ××高校、仮設診療所。二階族探索?

 診療開始…が、受診患者数ゼロ!看護師2名は二階族の現状について、行政がどの程度把握しているか市役所に聴きに行く。市役所の介護保険課で聞いた情報によれば、我々の担当エリア、××高校と○○小学校周辺は保健師が全戸訪問している。要介護が必要な人はリストアップしていて、介護度が高い人は地域包括支援センターに報告している、とのことだった。となれば我々が単独で動いても無益だろうということで、この「二階族探索ミッション」は中止。

 この件は、石巻赤十字で最初に得た情報によって(我々が過剰反応して?)空回りしたような結果になってしまった。行政側の動きを日赤側が把握しきれてなかったのか…それとも行政が知らないところで患者が発生して日赤に運ばれたりして、医療側に二階族探索の必要ありという実感があるのか…。

18:00石巻赤十字での全体ミーティング

 昨日と同様、情報伝達と共有、ディスカッション。がれきの片付けで粉塵が舞っていて咳の患者が増えている。25000枚のマスクが薬剤師会から提供されている、余っても返せないので、どんどん配って欲しい。咳は週末にかけて多くなる印象(週末ほどボランティアが多く集まり、がれき撤去作業がさかんになるためか?)。

 巡回診療を段階的に規模縮小していくことも議論されていた。医療支援も…もしかしたら始める時よりも終える時のほうが難しい。手厚く提供されてきた支援医療の撤収は、ゆるやかな変化を心がけ、撤収しても大丈夫だと伝えて理解を得ないと住民の不満や不安がつのり軋轢を生むし、業務を引き継ぐ医療者側の混乱も招くことがある。

未明の余震…

 前日と同様に夕食、温泉、宿泊施設に戻って22時過ぎには就寝。午前4時11分、余震。「ドン!」と揺れて数秒でおさまる。目を覚まして起き上がると回りにいた他チームの人々も皆、気付いて体を起こしていた。被災地にいるということをあらためて思い出させられた気がした。
 
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宿泊した「いきいき交流センター」
 
 
5月16日(月)

5:00起床、宿泊施設を撤収。エリアミーティングへ。

 宿泊施設を掃除して出発。バイパスを石巻方面に向かう。月曜のせいか前日と打って変わって渋滞。1時間半かかって到着しエリアミーティングに参加。

 この日のミーティングには市の行政側の人(保健師)や、岐阜大の精神科チームも参加していた。仮設診療所のような医療ニーズはだんだん減って、かかりつけや開業医に行く人が多くなってきているが、仮設診療所を頻繁に受診している避難所の高齢者などには依存傾向がある。心のケアが必要と思われる患者には岐阜大チーム対応可能なので連絡を、と伝えられた。避難者、被災者の精神面、心理面においても急性期、亜急性期から回復期にさしかかっているのかも知れない。被災し家族や家屋を失い、どん底の状態を周囲から支えられていた状態から、現実を見据え、認め、自立していかなければならない時期に来ている。そういう変化、転換ができずに心を病む人も多いのかも知れない。飲酒量が多くなっている被災者も増えているらしい。

9:00 ○○小学校で診療開始。

 この日は裏手にあるグループホームも訪問診療。 熱発、高血圧の患者、2名を診察。仮設診療所を受診者は1名のみ。この午前の診療で今回の我々の医療活動は終了となる。
 
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仮設診療所での診察、○○小学校にて
 
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グループホームを訪問診療

 2泊3日の日程で行った医療支援活動で実質診療した患者数は8人、と我々拠点病院チームの担当した仮設診療所の受診者は大幅に減っていたが、医師会チームの仮設診療所にはもっと多くの受診者が訪れていたらしい。聞くところによると、救護班派遣の規模を縮小して2→1チームにする場合、まず拠点病院チームを先に撤収する算段があり、テーパリング時の業務委譲をスムーズにするために、継続が必要かもしれない、受診者の多いほうを医師会チームが担当してくれていたらしい。

12:00 申し送りと撤収、帰路。

 次チームの医師に連絡を取り、石巻赤十字で待ち合わせて申し送りをする。2日前に申し送られたのと同様、次チームに現状を伝え携行していた薬や記録ノートを渡す。そしてサービスエリア、パーキングエリアで休憩と食事を取りつつ帰路。
 
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帰路、菅生PAの牛たん麦とろ定食(牛タン厚切りで♪)

 車中、医師会理事の先生から電話をもらう。ここ3日間の活動内容を報告。「ご苦労様でした。」というねぎらいの言葉とともに「うちの県から石巻への医療派遣は5月いっぱいで終了することに決まったよ。」と。午後7時頃には医師会の事務局からの連絡も入り、同じく5月いっぱいで救護班派遣を終了することが正式に決定したと伝えられた。

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 実働面では支援チームとして役に立てたと言えず、少し申し訳なく感じてしまう3日間でしたが、あの時期の被災地の現状を自分の目で見てくることができたのは大きな収穫でした。急性期に限らず、慢性期、回復期、被災地のいろんな段階を肌で感じておくことが、次の災害で動くときに必ず役に立つはずと思います。石巻への派遣は5月で終了となり、今回行かせてもらえなければもう行く機会はなかった、というタイミングでした。快く送り出してくれた関係者の皆様に感謝申し上げます。

 被災地石巻の医療の現状、回復期という表現をしましたが、精神面、心理面でのダメージはまだまだ続く、むしろこれから表在化してくるのかもしれないと思えます。今後も見守りつつ、自分たちにできることを探していきたいと思っています。
 
 
…医師会の雑誌投稿用の文章、ほぼそのまんまなので…
いつもよりかしこまっちゃった文章になってしまいますた(^_^;)
 
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石巻、被災地の復興、発展を祈念いたします。

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2011年6月22日 (水)

医療救護班@石巻 活動報告(その1)

今更ですが5月に行った医療支援の石巻レポートです。

地元医師会に依頼されて書いた原稿をちょっと改編して写真を補充してそのままうp。手抜きって言うな〜(笑)

医師会の雑誌に投稿したとは言え…読み手の迷惑かえりみず覚え書き的に垂れ流し状態で書いたチョー長文なので、暇人以外は読まないのが賢明です。ぃゃマジでw


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石巻での医療救護班活動報告
                        
 5月14日から16日までの2泊3日で、県の医療救護班派遣チームとして石巻市に行ってきました。病院スタッフで構成された6人編成のチームで、当院からは4月初めに行ったチームに続いて2度目の出動です。

 東北関東大震災の発災が3月11日。4月に行った先生の報告では「医療ニーズは急性期の怪我や病気から、長引く避難所生活における慢性期の病気のケアに移ってきている。」とのことでした。それから更に6週を経て5月中旬、私たちが目にした状況は、また少し違ったものになっていました。急性期から慢性期への移行期からもう少し進んで、慢性期から回復期への移行、という変化の過程を感じました。被災から2ヶ月経過しており、被災によって損なわれた医療環境を充足させる、足りない医療を提供するという段階から、自立を促す段階になりつつありました。点在する避難所は統廃合されながら入所者数が減ってきている、地域の開業医が診療を開始している、石巻赤十字病院を中心とした地域全体の医療体制も整ってきている…そんな状況に合わせて、仮設診療所を訪れる患者には可能な限り開業医やかかりつけ病院の受診を促すことが推奨されていました。確かに、我々のような外部からの医療支援チームが担う仮設診療所は、あくまで“仮設”であり恒久的なものではなく、現地の医療環境が整ってきたなら、ゆるやかに、そしてあえて意図的に引いていくのが自然であると思えました。

 我々に任された業務は、4月のチームと同様、避難所にある仮設診療所での診療です。前チームは800人の避難者を抱える避難所での診療で、3日間の合計で92人の受診者があったとのことですが、今回は、担当した2カ所の避難所の避難者数は数十人、受診者数は3日間合計で(なんと!)8人という状況でした。冗長な文章になりますが、些末なことも記録として何かの足しになるかも…ということで時系列にそってご報告させていただきます。

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5月14日(土)

5:00 ハイエースに乗り込んで出発。

 メンバーは医師が私と研修医、看護師2名、薬剤師1名、事務1名の6人。6人のうち2人は前回に続いて2回目の石巻入り。以前を知る2度目の参加者がいるのは心強い。高速道路は目立った渋滞もなく順調に車が流れていたが、サービスエリアは混雑していて自衛隊の車両やボランティアらしき車がたくさん。高速を降りて市街に入ると仮設住宅が建っていたり、以前は閉まっていたレストランやファーストフード店が営業していたり、徐々に復興が進んでいる様子は見て取れた。

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自衛隊の車両、ボランティア、混雑するサービスエリア
 
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仮設住宅 復興しつつある石巻市街

11:00 石巻赤十字病院着。

 赤十字病院の二階、受付で救護班登録をすませオリエンテーションを受ける。現状や業務の説明。その中で「被災地は、復興の進んでいる地域と進んでいない地域の二極化が進んでいる。一階部分だけが津波で浸水、崩壊した家屋には、その二階部分だけを住宅として住んでいる自宅難民の“二階族”がいて、介護や医療が必要な住民が把握しきれないままになっている。そういう人たちの掘り起こしもしてもらえれば…。」という要望が伝えられた。その後、前任チームと待ち合わせ、申し送りを受ける。今は我々拠点病院チーム(この時点で県の医療救護班は医師会チームと拠点病院チームの2チーム派遣)は午前:○○小学校、午後:××高校の避難所仮設診療所での診察をしているとのこと。

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石巻赤十字病院 オリエンテーションの様子
 
 
14:00 ××高校の仮設診療所にて。診療開始。

 避難所に滞在している避難者は48名。診察室の掃除、物品の確認をして診療開始。受診者は3人。いずれも70〜80歳代の高齢者で、感冒、シップや定期内服薬の処方希望など。オリエンテーションでは、なるべく開業医受診をすすめたり院外処方にして自立を促してほしい、と言われていたが、土曜の午後は開業医も診療を終了している。3名とも足腰が悪い高齢者だったので仮設診療所のストックから薬を手渡した。

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診察の様子 

 診療修了後、寄り道して津波の激しかった地域を車で訪れる。いまだに崩壊した家屋、道路、車、がれきの山はそのままで、異臭も粉塵も生々しい。確かに…“二階族”と日赤で聞いたとおり、1階は見事につぶれていて、比較的保たれている2階部分に人が住んでいそうな気配のある家屋がチラホラ。

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地震と津波の爪痕 1階部分の損傷が激しい家屋

18:00 石巻赤十字での全体ミーティングに出席。

 多岐にわたるリアルタイムな情報共有がなされていた。気温が高くなってきて食品管理に配慮が必要、食中毒が発生する危険性が伝えられた。ボランティア、自衛隊など(被災者ではない人たち)の診療はどうするのか?という問いに対し、お互い様だし積極的に診てあげましょう、ということに。支援医療チームの医療行為で発生した感染性のゴミ、医療廃棄物についての注意喚起。原則は自己完結で、できれば持ち帰るように、と。その他、N95マスクや破傷風トキソイドのストックが大量にあることのアナウンスなど。

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日赤での全体ミーティングの様子

夕食〜入浴

 Coco壱のカレーで夕食を取り、上品の郷(じょうぼんのさと)という道の駅の温泉で入浴。6週前のチームのときには食事の出来るところはもっと少なく、入浴施設もなかったとのことで、そのときに比べればかなり恵まれていると感じた。温泉は住民やボランティアと思われる人々で混雑していた。洗い場は常に5〜10人が行列を作って待っている状態だった。

宿泊

 「いきいき交流センター」という福祉施設。前チームからの申し送りで、我々の前の3チームはビジネスホテルに泊まったとのことでホテル泊を勧められたが…6人が仮に5000円のホテルに2泊すると6万円。うーん。さほど環境が悪くはないだろうし、雑魚寝状態のほうがチーム内の連絡・伝達が楽だし、と言うことで…我々は予定通り「いきいき交流センター」へ。各地から訪れた日赤のチームも数チーム同宿。広い体育館のようなスペースにマットやシートを広げて寝る場所を確保する形。寝袋を持参したが、県医師会の持ち込んだ寝袋、枕、銀マットが置いてあり、そちらを使用した。十分快適な宿泊場所だったと思う。

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……ちかれた…続きは後日........((((ヘ_ _)ヘ
 
 
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