医療救護班@石巻 活動報告(その2)
医療救護班@石巻レポート、“その1”に続いて“その2”です。
更にダラダラgdgdなレポートでスンマセン。
5月15日(日)
5:30 起床。
渋滞を見込んで早めに出発したが、日曜だったせいか思ったより早く到着したので日和山公園へ。高台から石巻港をのぞむ。誰が揚げたのか…見渡す限りのがれきの中にたなびく鯉のぼりが印象的だった。
日和山公園から見下ろす石巻港
がれきの街にたなびく鯉のぼり
8:30 エリアミーティング。
前日の診療所の状態から予測して、6人編成チームの我々は人員的に余裕があるので(6人がかりで診察患者が1日数人ではちょっと…という)、チームを分けて日赤で言われた“二階族掘り起こし”をしてみたい、と提案してみた。行政のすることであって支援医療チームが単独でやるべきではない、という意見も出たが、何とか合意を得られ、我々なりに動いてみることになる。
午前 ○○小学校、仮設診療所。
昨日の××高校(高台にある)よりは環境が悪い。汚泥、がれきもまだ生々しい。以前はグラウンド〜校舎の1階部分は水浸しで、その頃は3階部分に避難所があったとのことだが、今は診療所も避難所も1階に。現在滞在している避難者は23名と少ない。午前半日での仮設診療所の受診患者は2名。血圧を測って欲しい、という40歳代女性と、咽頭痛の20歳代女性。近隣を回って住民から二階族について聴取して回る。年寄りが避難所にいて若手が自宅の二階に住んでいるパターンもあるとのこと。
午後 ××高校、仮設診療所。二階族探索?
診療開始…が、受診患者数ゼロ!看護師2名は二階族の現状について、行政がどの程度把握しているか市役所に聴きに行く。市役所の介護保険課で聞いた情報によれば、我々の担当エリア、××高校と○○小学校周辺は保健師が全戸訪問している。要介護が必要な人はリストアップしていて、介護度が高い人は地域包括支援センターに報告している、とのことだった。となれば我々が単独で動いても無益だろうということで、この「二階族探索ミッション」は中止。
この件は、石巻赤十字で最初に得た情報によって(我々が過剰反応して?)空回りしたような結果になってしまった。行政側の動きを日赤側が把握しきれてなかったのか…それとも行政が知らないところで患者が発生して日赤に運ばれたりして、医療側に二階族探索の必要ありという実感があるのか…。
18:00石巻赤十字での全体ミーティング
昨日と同様、情報伝達と共有、ディスカッション。がれきの片付けで粉塵が舞っていて咳の患者が増えている。25000枚のマスクが薬剤師会から提供されている、余っても返せないので、どんどん配って欲しい。咳は週末にかけて多くなる印象(週末ほどボランティアが多く集まり、がれき撤去作業がさかんになるためか?)。
巡回診療を段階的に規模縮小していくことも議論されていた。医療支援も…もしかしたら始める時よりも終える時のほうが難しい。手厚く提供されてきた支援医療の撤収は、ゆるやかな変化を心がけ、撤収しても大丈夫だと伝えて理解を得ないと住民の不満や不安がつのり軋轢を生むし、業務を引き継ぐ医療者側の混乱も招くことがある。
未明の余震…
前日と同様に夕食、温泉、宿泊施設に戻って22時過ぎには就寝。午前4時11分、余震。「ドン!」と揺れて数秒でおさまる。目を覚まして起き上がると回りにいた他チームの人々も皆、気付いて体を起こしていた。被災地にいるということをあらためて思い出させられた気がした。
宿泊した「いきいき交流センター」
5月16日(月)
5:00起床、宿泊施設を撤収。エリアミーティングへ。
宿泊施設を掃除して出発。バイパスを石巻方面に向かう。月曜のせいか前日と打って変わって渋滞。1時間半かかって到着しエリアミーティングに参加。
この日のミーティングには市の行政側の人(保健師)や、岐阜大の精神科チームも参加していた。仮設診療所のような医療ニーズはだんだん減って、かかりつけや開業医に行く人が多くなってきているが、仮設診療所を頻繁に受診している避難所の高齢者などには依存傾向がある。心のケアが必要と思われる患者には岐阜大チーム対応可能なので連絡を、と伝えられた。避難者、被災者の精神面、心理面においても急性期、亜急性期から回復期にさしかかっているのかも知れない。被災し家族や家屋を失い、どん底の状態を周囲から支えられていた状態から、現実を見据え、認め、自立していかなければならない時期に来ている。そういう変化、転換ができずに心を病む人も多いのかも知れない。飲酒量が多くなっている被災者も増えているらしい。
9:00 ○○小学校で診療開始。
この日は裏手にあるグループホームも訪問診療。 熱発、高血圧の患者、2名を診察。仮設診療所を受診者は1名のみ。この午前の診療で今回の我々の医療活動は終了となる。
仮設診療所での診察、○○小学校にて
グループホームを訪問診療
2泊3日の日程で行った医療支援活動で実質診療した患者数は8人、と我々拠点病院チームの担当した仮設診療所の受診者は大幅に減っていたが、医師会チームの仮設診療所にはもっと多くの受診者が訪れていたらしい。聞くところによると、救護班派遣の規模を縮小して2→1チームにする場合、まず拠点病院チームを先に撤収する算段があり、テーパリング時の業務委譲をスムーズにするために、継続が必要かもしれない、受診者の多いほうを医師会チームが担当してくれていたらしい。
12:00 申し送りと撤収、帰路。
次チームの医師に連絡を取り、石巻赤十字で待ち合わせて申し送りをする。2日前に申し送られたのと同様、次チームに現状を伝え携行していた薬や記録ノートを渡す。そしてサービスエリア、パーキングエリアで休憩と食事を取りつつ帰路。
帰路、菅生PAの牛たん麦とろ定食(牛タン厚切りで♪)
車中、医師会理事の先生から電話をもらう。ここ3日間の活動内容を報告。「ご苦労様でした。」というねぎらいの言葉とともに「うちの県から石巻への医療派遣は5月いっぱいで終了することに決まったよ。」と。午後7時頃には医師会の事務局からの連絡も入り、同じく5月いっぱいで救護班派遣を終了することが正式に決定したと伝えられた。
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実働面では支援チームとして役に立てたと言えず、少し申し訳なく感じてしまう3日間でしたが、あの時期の被災地の現状を自分の目で見てくることができたのは大きな収穫でした。急性期に限らず、慢性期、回復期、被災地のいろんな段階を肌で感じておくことが、次の災害で動くときに必ず役に立つはずと思います。石巻への派遣は5月で終了となり、今回行かせてもらえなければもう行く機会はなかった、というタイミングでした。快く送り出してくれた関係者の皆様に感謝申し上げます。
被災地石巻の医療の現状、回復期という表現をしましたが、精神面、心理面でのダメージはまだまだ続く、むしろこれから表在化してくるのかもしれないと思えます。今後も見守りつつ、自分たちにできることを探していきたいと思っています。
…医師会の雑誌投稿用の文章、ほぼそのまんまなので…
いつもよりかしこまっちゃった文章になってしまいますた(^_^;)
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