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2009年10月17日 (土)

いつか訪れる死について

つい2時間ほど前なんですが、いつもの某SNSの…
医療系コミュニティで久々に自前のトピックを立てました。
きっかけはたわいもないことだったんですが…まぁいいや。
あまりにも大きなテーマなので収拾つかないだろうとは思いつつ、
でも、いろんな人のいろんな考えを聞いてみたくて。
立てて2時間で40ほどのレスが付いてます。
 
 
いつか訪れる死について
 
商売柄(?)人生の終わる場面を見る機会が多いわけですが…
いろんな死に方をする人がいます。
 
予告も前触れも覚悟もないままに交通事故で突然死ぬ人、
死に至る病で余命を言い渡されて予定どおりに死んでいく人、
自分で望んで自らの命を絶つ人。
  
多くの家族や友人に囲まれて惜しまれながら息を引き取る人、
身よりがなくて誰にも見向きもされないままに死ぬ人、
子供も孫もたくさんいるのになぜか寂しく死んでいく人。
 
死にたくない死にたくないと生に対する執着にあがきながら死ぬ人、
苦しみ、もう死なせろと言い続けた末に病苦から解放されて死ぬ人、
告知を受けKübler-Rossのお手本どおり死を受容して最期を迎える人。
 
誰もがいずれ必ず死ぬ、死はいつか必ず訪れます。
わかってるけど…たくさんの死を目の当たりにしているくせに
生き方とか死に方とか、まだぜんぜん答えにはたどり着けません。
派手に?地味に?賑やかに?安らかに?何かを残す?残さない?
幸せに死ぬことなんてできるのか?
 
さて…死ってなんなんですかね?
私は?どう生きてどう死にましょう?
 
答えを持っている人、ヒントを持っている人、
考えたことのある人、考えている人、悩んでいる人…
何か書いていただけます?いつか訪れる死について。

 
 
考え始めたらキリがないし、そのくせ答えも出ない。
だけどグダグダ考えたりし始めたら意外ととまらない。
死を意識しながら生きるのもそう簡単じゃないし楽しくもないけど
死について考えることは「生き方」を考えることでもあるから。
トピックでは医者っぽい書き方をしてしまったけど
医者として“死”を考える、とかじゃなくてもっとストレートに、
単純に「いつか必ず死ぬ自分」はどう死ぬか、で当面どう生きるか…
なーんかガラじゃないこと書いてる気がしますが、まいっか(笑)
 
たまたま不運にも(?w)このブログ記事を読んじゃった方、
ここののコメント欄でも、持論でも思いつきでも独り言でも
なにか気分次第でテキトーでいいので書き込んでください。
 
それを読んで私がまた何か感じたら続きを書きますし。
(とか言って続いた試しがあんまりないがww)
 
 
 
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コメント

初めて1番GETです!
「死」と言えばちょうど最近考えさせられた新聞記事を読みました。
火曜日の日経新聞だったと思いますが、
うつ病で苦しんでいる妻を夫が刺殺した疑いがあるというものです。
更に驚いたことに、数年前にはこの妻が難病で苦しむ息子の人工呼吸器を止めて
窒息死させているということです。

私は当事者の気持ちをうまく理解できません。
やはり家族の病や介護は想像以上に過酷なものなのでしょうか?

投稿: ロッキ~ | 2009年10月17日 (土) 02時05分

はじめまして、ずっと前から貴ブログ拝読してます。
私にとっても誰にとっても、"死" はすぐそこにあるもの。
病死や自殺のことなど、しょっちゅう考えてますよ。
つよぽんのお父様、
彼が亡くなった年齢に近づいてきたから、突然こんなエントリーUPされたのかな ・・ なんて思ったりして。大丈夫?
つよぽんのこと心配になったから、書き込んでみました。

投稿: ひいらぎ | 2009年10月17日 (土) 04時32分

明日は誰にも約束されていない。だから後悔のない様に精一杯今を生きたいですね。

例えば…

・周りに居てくれる人を大事にする。
・会いたいと思ったら会いに行く。
・行きたい所にはちゃんと行っておく。
・したいことは取りあえず何でも体験してみる。
・大切な人、または好きな人には思いやりを持って接する。


シンプルな事なんだけど、結構大事かなって自分では思うから、上に挙げた事は常日頃気にしながら生きてます。死ぬ間際『あの時ああすれば良かった。こうすれば良かった。』って思うのがこわいから。でもどんなに精一杯生きてるつもりでも、きっと何か後悔しながら死んじゃうのかなぁ…。

投稿: うさたんU・ェ・U | 2009年10月17日 (土) 07時04分

親友だと思っていたこが誰にも相談せずに自殺しました。

最後に電話した時「何の用?」と冷たい彼女に早々に電話を切ってしまい、気にはなったけれど、夏にでも帰省したした時にまた電話してみればいいと思った矢先の出来事でした。
私は親友の葬式でこれ以上ないってくらい泣きました。これ以上ないってくらい後悔しました。なんで先延ばしにしたのかと・・・・以降は「思いを伝えたい人には伝える。」を心がけています。
何事も先延ばしにしないようにしています。

でも、その後、若くして病気で死んでしまった先輩のお葬式でも、そんなに泣いてはいません。
いつかは訪れる死を自分の手で引き寄せてしまう以外の死ならいいと思うようになってしまいました。
そんな自分がちょっと悲しくもあります。

投稿: 伽羅 | 2009年10月17日 (土) 07時29分

おはよーございます.

あまりにつよぽんらしくない(?)テーマであり,←サーセン
自分のど真ん中なので,思わず書き込みしました.
今の仕事を志す様になってから,何となく自分の中では
おぼろげにいめーじができてきています.

……といっても,ここではあまり書けなかったり.orz
また後日に~

投稿: J@こ,これは… | 2009年10月17日 (土) 07時38分

独り言風ですが。

まず、私はなぜいるのか、生まれてきたのかが疑問です。
日々ちょっとしたことで悩んだりすると、どうしてこんな思いをして生きなくちゃいけないのかなぁ…などと小さなことでも生きている意味を考えてしまったりします。

近い身内を3人亡くした経験から、
1.痛くて苦しんで死ぬのは嫌だ。
2.お世話してもらって死ぬのは嫌だ。
3.だから、ぽっくり逝きたい。
と思っています。

父は40歳で肺癌末期余命1ヶ月と言われたのに、積極的な治療をしていただき1年頑張りました。中学生の私から見てもアレは相当痛そうでしたから、私は勘弁してほしいです。そういう病気にはなりたくないなぁ…。
祖父母はけいつい損傷で寝たきり&アルツハイマーで。コレは治療・看護してくださる病院や家族にお世話になりますから、申し訳ないなぁ…と。

夜寝て、朝に起きることなく眠っているうちに死ねれば痛さや苦しさを感じないかもしれないから、それがいいかな?と思っています。
お葬式は、しなくていいです。大変だから。

周囲に迷惑をかけない程度に好きなことをして、後悔のないように生きたいと思っています。
あと、母は3人をお世話して看取りましたから、私までそうさせないよう、母より長く生きたいと思っています。(4回も手術して迷惑かけてるんですけどsweat01

ごめんなさい。完全に独り言ですね…。

投稿: ひめ | 2009年10月17日 (土) 07時46分

先月急死した友人は、前夜寝る時まで、
自分の命があと24時間以内とは思わなかったでしょう。
別室で寝ていたご主人は、深夜の発熱に気づいてすぐ救急車を呼べば、
との思いに苦しんでいます。

不意打ちに訪れる死より、ある程度、身辺整理の時間がとれる病のほうが、
優しいような気がします。

投稿: 蝸牛 | 2009年10月17日 (土) 13時27分

つよぽん先生、こんにちはhappy01
いつもブログ拝見しております。

なんだか、ちょっと?つよぽんらしくない記事…
何度も何度も読み返し、コメントを書こうと思ったけれどなかなか
まとまらず…

最近、中学校時代の同窓生が事故で亡くなったそうです。
3人の子供と同じく同窓生の夫を残して。

蝸牛さんんがおっしゃるように、
「不意打ちに訪れる死より、ある程度、身辺整理の時間がとれる病のほうが、優しいような気がします。」
と、私も思います。

死は誰にでもいつかは訪れる。
私は現在、毎日死を身近にした方々と関わる現場で働いています。
死を待つのではなく、最後まで生き抜くためのお手伝いです。

また、おじゃましますpaper

投稿: シーパラシー太 | 2009年10月17日 (土) 14時31分

死ぬ場面しか見てない医者に
《多くの家族や友人に囲まれて惜しまれながら息を引き取る人、
身よりがなくて誰にも見向きもされないままに死ぬ人、
子供も孫もたくさんいるのになぜか寂しく死んでいく人》
なんて言われたくないね。

人間はそれだけじゃないから。
死んだあと、葬式に沢山の弔問客が来る人、命日には必ず友人が御参りに来る人・・いろいろいるしね。

その場面しか見えなくて、独り者には
わからないだろうね

投稿: | 2009年10月18日 (日) 16時55分

医者も人。
家族や親戚、恩師、友人の葬儀に出たことのない医者が
いるとは思えません。
むしろ、一般人より多く参列しているかも。

投稿: 通りすがり | 2009年10月18日 (日) 19時00分

 はじめてコメントします。仕事柄、たくさんの死をみつめ、受け止めている先生ご自身の答えは、きっと心の奥にあると思います。誰しも考えさせられるテーマですね。残念ながら未来のことはわからない…ただ、友達、家族、知人の心の中に残る思い出の「生」はいつまでも…在り続けると、現在進行形の今の私の考えです。年齢を重ねた時も、そう思いたいですが…。

投稿: books | 2009年10月18日 (日) 19時04分

>自分で望んで自らの命を絶つ人。

自殺のことをおっしゃっているのしょうか。
自殺は「望んで」ではなく「追い込まれて」の結果だと思います。
言葉尻をとるようで、失礼いたしました。

投稿: もち | 2009年10月18日 (日) 22時31分

おはようございます。
いつもSNSで拝見してます。
ブログへは初めておじゃまします。

いままさに、その「いつか」に父が直面しています。
末期と診断されてから3年…
あと10日程で誕生日ですが、73歳を迎えるのは難しそうです。

投稿: おぉすけ | 2009年10月20日 (火) 09時30分

このブログとSNSと…
書き込みを読んでいるとそれぞれのコメントに重みがありますね。
個別にレスポンスしたいけど気持と時間に余裕がないと
この話題にスイッチが入りにくいです(^^;)

こことブログのコメントへのレスは、おいおい書いていきます。
自分で話題振っておいて、というツッコミはなしで........((((ヘ_ _)ヘ

投稿: つよぽん | 2009年10月21日 (水) 09時22分

今回は、ヘビーなテーマですねえ。。。。
つよぽんセンセ。

死を考えるってことは即ち生を考えるってことでもありますよね。

どどーんと重いテーマではありますが、それだけに管理者としては不用意なことを書けないでしょうし、筆も慎重になってしまうでしょう。

そこで、ここはあえて天の邪鬼として無機的な観点から「生」と「死」について、どっちがどう違うか、を考えてみると。。。。

「生」にはいつでも生と死を選択する権利があるけれども、「死」には選択権がない、ってことでしょうか。そういう意味においては、「生」の方が「死」対してアドバンテージがある、と・・・。

まあ、こんな浅薄な考察では、
>自分で望んで自らの命を絶つ人。
を止めるだけの理由にならないでしょうけれども。。。。

投稿: MusignyBlanc | 2009年10月21日 (水) 19時31分

>ロッキ~さん

66才の夫が65才の妻を殺害した事件ですよね。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/542ac85e186bb2faa64ddccb92bf9d3c
高齢者の自殺もめずらしいことじゃありません。
特に田舎、僻地に多いような気がします。

当事者の気持ちは、当事者にしかわからないですよねぇ。
正直言って私にも“うまく”理解はできません。
想像して、共感しようと努力はしても…簡単じゃないです。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 11時48分

>ひいらぎさん

読んでくれているんですね、ありがとです(^_^)
私が死んだ父のことを書いたのを覚えてくれていて…嬉しいです。
一年一年、父が死んだ年齢に近づく、その実感はあります。
遺影の父よりも自分が年上になったとき、
何か感じることとか悟ることとか…あるのかなぁ。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 11時53分

>うさたんU・ェ・U

後悔のないように精一杯今を生きる。
そう、そうしたいですよね。
当面…今はそういうつもりで私も一所懸命生きてます。
でもやっぱ不安にはなるよね。
120%精一杯に生きても死ぬ間際になれば
『あの時ああすれば良かった。こうすれば良かった。』
は必ず何かしら出てくると思う。
あんまり精一杯生きすぎたことを後悔してたりしてww

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 11時59分

>伽羅さん

ヘビーな体験をしましたね。
その状況での後悔は仕方がないっすよ。
誰が当事者でも同じだったでしょうね。
>「思いを伝えたい人には伝える。」を心がけています。
…うっ(笑)
それもそんなに簡単なことじゃないですよね(笑)

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時06分

>Jさん@こ,これは…

はいはい、
Jさんには「らしくない」と言われると思ってました(笑)
確かにJさんのど真ん中なテーマですよね。
イメージができてきてるんだ…?
どんななんだろう、今度いろいろ教えてくださいねー。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時08分

>ひめさん

長文コメントをありがとうございます。
読んでいて、ひめさんは『死』をある意味許容できていて
人の死も自分の死も客観視できているように思いました。
私は、死を考えるとき、なんかもっとこう…気持がジタバタしてますね〜(笑)
「ぽっくり逝きたい。」って、お年寄りはよく言いますけど
そのセリフって自然体で死と向き合える人の潔い言葉だなーと。
あ、ひめさんって“お年寄り”でしたっけ?w

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時16分

>蝸牛さん

そのお話、自分に置き換えて想像して奇妙な感覚。
24時間後に自分が死んでいるとしたら…?
今、自分に24時間のカウントダウンが始まったら…?
何をするかなー。で、悲しいかなー?
うむむ、想像つかない、やっぱりsweat02

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時20分

>シーパラシー太さん

はじめまして…かな?
最後まで生き抜くためのお手伝のい、どんなお仕事なんだろ。
残して去る側の問題と残される側の問題、
残して去る側の気持ちと残される側の気持ち、
それぞれの視点、立場で考えると食い違いも出そうですね。
たとえば上でひめさんが書いたような「ぽっくり逝きたい。」は
蝸牛さんの言う「不意打ちに訪れる死」ってことになるだろうし。
難しいですね。(難しい、と言っちゃうのは簡単(笑))

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時26分

>無記名さん、通りすがりさん

無記名さんへの反論を書こうと思ったら、
すぐ次の通りすがりさんがズバッと書いてくれたww

ちょっと医者目線で最初の文を書いちゃった気はします。
だから「死ぬ場面しか見てない医者」って思われるのも仕方がないかな。
でも、私自身も父親の死、親族の死、友人の死、
身近な人たちの闘病の末の死、突然の事故死、
そういうのを見て、悩んで、悲しんで、考えて、生きてきたつもりです。
そしてプラスアルファで、職業柄見てきたいろんな死がある。
その上で…やっぱりぶっちゃけわからないのです。
私にとって「死」ってなんなのか…。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時34分

>booksさん

初コメント、ありがとうございます。
いえ、私の中に答えと言えるようなしっかりしたものはないんです。
未来のことはわからない、自分がいつ死ぬかもわからない、
どんな死に様をするかもわからない。ほんとにわかんなーい!w

ただ…booksさんが書いてくれたこと、
「友達、家族、知人の心の中に残る思い出の「生」はいつまでも…在り続ける」
それ、私にとっても答えのひとつなのです。共感します。
それを答えのひとつとして私が心に抱いたのは中学生のときでした。
13才の少年の自殺からストーリーが始まる漫画からもらった回答です。
萩尾望都さんの「トーマの心臓」って作品なんですけど。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時42分

>もちさん

おっしゃるとおりかもしれません。
自ら死を選ぶ人、その考えもプロセスも背景も人それぞれです。
前向きに「望んで」死を選択するわけではなく
「望んで」死を選択する前に「追い込まれる」状況が
何かあるのでしょうね。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時48分

>おぉすけさん

ブログにようこそ、です♪
3年、ですか。長い闘病生活だったんでしょうね。
あと10日?数日?何をするか、してあげられるか、
せめてご自分が後悔しないよう過ごし過ごさせてあげてください。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時52分

>MusignyBlancさん

さすが科学者らしい考察をありがとです。
有機的な?主観的な?文学的な?情緒的な?
そんな回路で考えていると煮詰まるんですよね、このテーマは。
無機的な観点でアプローチすると見え方がちがいますね。

確かに、そういう考察から情緒的な解決は得られないけど…。

投稿: つよぽん | 2009年10月22日 (木) 12時58分

確かに(^^;)
簡単ではないです・・・色んな事考えなきゃいけないときもあります。
それでも、私の譲れない基本なんです(笑)

それに視野欠損の始まっている緑内障の私には、先延ばしは出来ないんです。

投稿: 伽羅 | 2009年10月22日 (木) 13時09分

昨日は、有難うございました。

楽しかったせいか、全然眠れませんでした。

クマがひどいです。


朝っぱらから、本題ですが、

葬式にはその人の一生がよく表れるって

誰かがいってました。

ホントそうだなと思います。

18でこの世を去った友人がいます。

尾崎豊「卒業」の世界を地で行く人です。

(現実世界では、許されまじき不良ですね。)


そんな彼がこの世に残したものなんて・・・????

って感じですけど、

実際には、中学校の同級生や先輩その他諸々

多くの参列者がいて、みんな涙を流していました。

(おいらも)


彼の死をきっかけに警察官目指した人(バイク事故だったので)


毎年、必ず墓参りに行く僕。


彼は十分いろんなものをこの世に残しているし、

彼の知人みんなの心の中に住んでいます。

残された人(残った人?)に、こんなに

思ってもらえる最期を迎えられたらいいなと思います。


そのためにはやっぱり「今」の生き方ですよね。


ながなが、書いてしまいました。

遅刻する(汗)のでこの辺で。

投稿: 昨日、世界にひつだけの花を歌った人 | 2009年10月23日 (金) 05時38分

確かにf^_^;どんなに一生懸命生きてても、必ず最期は『ああすれば良かった。こうすれば良かった。』って思いますよね。きっと…。
例えば道が二つあったとして、選ばなかった方の道に対して『あっちの道を選んでいたとしたら今頃は…?』って考えるのも、個人的には後悔に似ている様な気もするし…。。。

って、う~んsweat01考えれば考える程、【生きる】とか【死ぬ】とかってよく分からない。

ただ一つ言えることは『今だけは絶対死ねません!!』ってこと(笑)だって、部屋がちゃんと片付いてないし、思うが儘書いてある日記だって恥ずかし過ぎて誰にも見られたくないし、行きたい所、したい事、伝えたい事も山積みなんですもの…。

【後悔のない様に精一杯今を生きる】って最初のコメントで書いたのに~ιι(+_+)ア~ア…

投稿: うさたんU・ェ・Uノ | 2009年10月23日 (金) 21時20分

今朝、父が長い闘病生活を終えました。
父がどんな思いだったかはわかりません…
本人自信も最期までわからなかったかもしれません。

私が、つよぽん先生の日記におじゃまするようになったのは、「父の日に想う」の日記を拝見したのがキッカケでした。
私もいつかつよぽん先生のように父を想う日がくるのかな…

投稿: おぉすけ | 2009年10月24日 (土) 15時42分

なんだか「父の日に想う」を読み返したくなり
再度拝見しました。

うーん。。。難しい話ですが、
忙しない毎日を送っている中で
このテーマについて時々立ち止まって考える、
いいと思います。

明日山登り行くのでとりあえず死なないように
頑張ります(笑)

投稿: ももこ@お江戸帰り | 2009年10月24日 (土) 22時50分

人、と言うより自分が死ぬと言うことや生きることの意味について真剣に悩んだ頃も在りましたが、真剣度が足りないせいか、日々の暮らしに埋没しているうちに、今や棺桶がすぐ側に近付いて来ましたね。最近は、人間と言うのは生まれてほんの少しの時間生きて、居なくなる、ってことを実感として感じますね。千年位はあっという間なんだと言う気がして来ています。これが老境ってものなのかも。まあ、60年も生きれば、十分に満足だし、大事なのは、人を陥れたり、欺いたりしないできちんと生きることができれば良いのかな、なんて思いますね。
若くして亡くなった前途有望な友人もいたけど、彼らは死にたくなかった。生きたかった。でも、死んでしまった。
日本では、それなりに平均余命が伸びて全般に長生きだけど、それでも事故や殺されたり自殺したりで若くして死ぬことは有ります。
結局、人間は自分では生き死にを決められない、ってことじゃあないかと思います。例え、最前・最新の治療をしても助からない人はいますから。運よく老年まで生きることができればラッキーだし、その時に恥ずかしい生き方をしていなければ、金は無くても十分かな。まあ、在る方が良いけど、それも生きてるうちだけだしな。
死ぬ時はかなり苦しい思いをして、ジタバタはするかもしれないけど、それまでは生きているんで、余りそのことをシミュレーションしても意味が無いかも。一回しか死なないし、、、

投稿: N生 | 2009年10月25日 (日) 12時22分

初めてコメントさせていただきます。

医者の卵をやっていた高校時代の先輩が急逝したとの報を受け、昨日「お別れの会」に参列させていただきました。卒試に向けて勉強している最中の突然死だったそうで、先輩自身、最初は自分が死んだことにも気付かなかったかもしれません。自分としてもまだ実感が湧かないというのが現状です。しばらく全く連絡をとらずにいた人と久しぶりに会った時、彼の姿は写真と遺骨になっている。彼がこの世にいないのは間違いないのですが、いきなり写真と遺骨だけ見せられて「彼は死にました」と言われても、地球上のどこかにいるんじゃないか、白衣を着て医者になっているんじゃないかと思えてしまう。死に目に会えなかった人が抱き泣くのはこのような解離感に対するものかと思いました。

乱文を失礼致しました

投稿: 軍曹 | 2009年10月26日 (月) 08時14分

はぢめましてです。

素敵な事を考える方ですね。
私は自然療法をいろいろ勉強していますが死とは『使命に対し、いかに生きるか』という事だと思います。

別にお告げが聞こえる訳ではありませんが、人生半ばになると自分が生かされていることに気づき、なぜ生かされているのかを知ります。

子供のころから解っている方もいらっしゃるようですが。
漠然とした目標の中でそれに向かって生き抜く。
例え終末が病気でも事故でも、魂は納得している最期なのかなと思います。

生意気言って申し訳ありません。

投稿: nayo | 2009年10月26日 (月) 12時33分

このコメントに、自分の気持ち・考えをきちんと伝えられるよう整理して書くことは非常に難しく、整理すらできないですが。。

私も仕事柄いろんな方の最期を聞きます。
糖尿病で食事制限があるのに、ご家族は『どうせ長生きできないんだから、好きなものを食べさせてやって欲しい』と大好きな果物やお菓子を食べさせて入退院を繰り返し、目も見えなくなり60代そこそこで亡くなられた人。
寂しくなると近所の人に『具合が悪いから病院に連れて行って欲しい』と救急外来の常連。狼少年をじでいくようなおばあちゃん。近隣住民ともトラブルばかりで、相談員、更には救急隊・警察・病院、全ての人に相手にされなくなり、本当に具合が悪く(リンパ癌でした)病院に行った時には手遅れで、入院1週間で他界。救急外来でいつも痛み止めを貰っていただけ。きちんと診察時間中に病院に行っていたら検査もしてもらえただろうし、何か違ったのかもしれない。葬儀は花も無ければ忌中札すらなく、近所の人すら亡くなった事を知らない人もいて。。棺とろうそくだけの寂しい最期だったそう。周りにたくさんの迷惑をかけながらも、自分の好きなようにして死んでいったのは幸せだったのかどうなのか。。
重篤な心臓病を抱えているのに、病院では手に負えなく自宅療養になったおじいちゃん。「もって数ヶ月」と言われていたのに、わがまま勝手好き勝手、やりたい放題言いたい放題で、ストレスを全て回りにぶちまけていたおかげ?なのか1年も生きながらえて。ストレスをためない事が少しでも長生きできた理由だったのか。。

ずれずれコメントですみません。
いろいろ考えてしまいました。

トピずれですね。
いろんな事を考えてしまいます。

投稿: malin | 2009年12月20日 (日) 16時13分

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