« つよぽん@渋谷 第一次カラオケ大戦 | トップページ | 医療問題を注視しる!を注視しる! »

2008年9月 5日 (金)

無罪確定、そしてこれから...

昨日、9月4日の午前0時、
大野病院事件。本当の本当に加藤医師の無罪が確定しました。
 
見守っていた人々が、我々が、無罪が確定した今だからこそ
やっと語れること、始められること、仕切り直せること、
いろいろあるように思います。
 
「無罪」が確定してからでないと言えないと私が思っていたこと
ためていたこと、取り止めなくずらずらと書いてみます。
冗長な駄文になりますが…書きたいんだから書いちゃうもんね!
 
 
 
8月20日に福島に行ったことを某SNSの日記とこのブログ
両方に書きましたが(8月20日、福島レポート
それに対する、ある友人のコメント↓
 
>ともあれ、一年後、果たして医師でない人たちのうち、
>何人がこの出来事を覚えているのかしら。
>ま、忘却は人間の短所であり長所でもあるのですが。
 
人間は(と言うか日本人は?)忘れるのが早いです。
無罪確定は心からよかったと思うんですが
確定したことで裁判そのものにはもう新しい展開はないわけで、
完結した、議論が終了した、と人々の関心が薄れ
風化していくのかもしれないと思っています。
 
1年後にどれだけの人がどれだけこの出来事を覚えているか…
私自身もどれだけ問題意識を持続できるか…わかりません。
今よりは記憶や実感は薄れていく。それは仕方がない。
ただ、1年後の社会にこの出来事が何をどれだけ残すか?
何かが残るように導かないといけないと思う。
 
持って行きかた、は慎重に配慮すべきでしょう。
加藤医師は福島で産婦人科医としての業務を再開するらしい。
それを邪魔するようなことになってはマズイ。
そうならないように配慮しつつ、でも医療が再生するまでは、
この事件で浮き彫りになった問題点が風化しないように、
医療者、非医療者みんながしっかり抱えたまま手放さずに
考え続け、そして何かをし続けていなければ。
 
判決が確定して「無罪」を前提にすることで初めて
検証できること、検証すべきことがあるのではないか?
 
結論(=判決)が出たのなら今度は“過程”を厳しく裁かなきゃ。
何が悪かったのか、誰が悪かったのか、うやむやにせず
直すべきところは直す、責められるべきヤツは徹底的に責める。
追求すべきはキッチリ追求する必要があると思う。
  
例えば警察や検察。
  
逮捕を手柄だと警察が表彰されたこと、そのままにはしておけない。
無罪だったんだ、それでいいじゃん、で終われない。
むしろ責任追求と加藤医師への謝罪が当然と思う。
冤罪事件を作って医師一人をボロボロにしたことが
表彰されたままでいいわけがない。

判決後の検察のコメントをニュースで見ました。
公判に当たった検察幹部の発言↓
「地元の捜査幹部は20日、判決結果に疑問を呈しながらも、
 公判で議論した意義があった点を強調した。」
これも素通りできない。言わせっぱなしにしておけない。
判決が下されてもまだ何もわかってない。
検察や警察がこの調子じゃ、また…
「公判で議論する意義がある」と彼らが勝手に判断すれば
同じ悲劇は繰り返されますよ。
 
 
そして遺族。
 
「残念な結果として受け止めるとともに、
 今後の医療界に不安を感じざるをえない」
つらい思いをしたのは十分承知の上です。
判決への不満も憎しみも変わりっこないんだろうと思う。
でも(難しいんだろうけど)
「心情的に不本意だが判決は妥当だった。」
と納得してもらえてはじめて何かが終わる、
終われるんじゃないだろうか。
 
医療を施す側と受ける側の間にある壁や溝、
この事件をきっかけに理解し合える人とは理解し合えました。
でも理解し合えない人とのギャップは更に広がった気がしてます。
 
無罪確定という終わり方に我々が胸をなで下ろすその隣で
不当判決だ、有罪だ、という考えを持ち続けつつ
「もう言っても無駄だし」と沈黙した人もいるはずです。
そういう人たちは今までより語らなくなるのかもしれない。
聞こえなければ届かない。
聞こえなくなることが解決じゃない。
異論のある人が沈黙してしまうようになったら
静かにはなるけど本当の解決への糸口は、
手の届かないところに潜っていくだけなんじゃないか?
 
決定的な決裂を避けながらも、ぶつかりあう。
それができる環境を維持し続けなきゃならない。
気が遠くなるけど、これからも…。
 

|

« つよぽん@渋谷 第一次カラオケ大戦 | トップページ | 医療問題を注視しる!を注視しる! »

大野病院事件関連」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
さっきまで、某大学の医療安全系の教授と語ってたのですが(もちろん、with アルコール♪)、無罪判決が出たからこそ、のことがある。警察・検察や遺族を含む一般の人たちも反省が必要ですが、医療者側は反省しなくていいのでしょうか。
裁判で医療を問うのが問題というのとは別に、不幸な事件が起こったときの患者とのやりとりについて、たぶん加藤先生は誰よりも自問自答していると思うのです。もっとも加藤先生だけの問題じゃなくて、病院の体制とか、遺族がただただ、かなしいです、つらいです、と感情を吐露できる場がないことについて考えたいと私は思っています。医療者じゃないけど。
そして、医療者にとって、一度何か起きたことは、一生苦しいことを、もっと一般の人に伝わるようにしないといけないと思っています。
生意気ですが、ゆるしてね。

投稿: おでかけ | 2008年9月 6日 (土) 00時01分

うーん.
カラオケねたとのこのギャップがつよぽんせんせーの魅力?
頭の中にいくつお部屋があるのでしょうか?

8月20日にあれ程ドキドキしていたのに,
当の医療従事者(ぢぶんのこと)でさえ,
忘れはしないものの過去の話になりつつあります.
でも,医療関係の掲示板では,大野事件程ではなくても
毎日の様に医療裁判の結果が載せられています.
今は,それ程までに医療関係の裁判が増えているのでしょう.
「対岸の火事」どころではなく,「明日は我が身」ですね.

ただ,やっぱり何をすればいいかわからない.
つよぽんせんせーみたいに active な方もいますが,
多くの医療従事者は医療を取り巻く環境に幻滅しながらも
「じゃあどうすれば…」で止まっていると思います.
どうしても目先のこと(≒日々の診療)で手一杯.

かなり遠回りながら多少の影響を与えられそうなのが,
遅くとも1年以内にやってくる衆議院選挙でしょうか.
でも,「喉元過ぎれば」的民族である日本人,
1年もすれば「医者? 逮捕されてもいんじゃね?」とか
なっている可能性もありますね.
特に,煽動が得意な人物が現れれば,簡単にあしらわれそうです.
多数決が民主主義の一応の原則とはいえ,
医療に関しては一般社会に対して多勢に無勢的な感じもあり,
かなり切ないです.

投稿: J | 2008年9月 6日 (土) 02時30分

思うこと、感じること、いろいろあるのですが
この話題になかなかコメできませんでした。。
どうしてもわかる部分とそうでない部分があるように感じます。

“無罪は当然”と思ってますが、いざ当事者だったら?
もし遺族に同じ立場になったら?
と考えたら…

   わかりません。

数年前、子供が術中急変した事がありました。
そこにいた全ての方たちのおかげで、なんともなく今は過ごせてますが、もしその時何かがあったら??後遺症が残っていたら??
私はどう感じていただろう?と考えてみました。
  
外科・内科、両方の医師をとても信頼してます。なので、もし何かがあってもこのご遺族と同じ行動はとらないと思います。
でも、これは今何事もなく過ごせてるから言えるのかもしれないし、思えるのかもしれません。。
難しい…頭ではわかっているのに心情的には理解ができない。。
当事者になってみないとホントの自分はわからない気がします。

どうなんだろう…

ただ、医療従事者と一般の人とのこの事件の大きさには
かなり差があったと思います。
会社の人間はほとんど知らない人ばかりでした。

長々支離滅裂でまとまりの無いコメすみません。

投稿: まりん | 2008年9月 6日 (土) 07時24分

医療事故?とかミス??という疑問をもちつづけて、医療不信に陥っている人をみていると、事故があったときはもちろん、それ以外の「あれはなんだったんだろう」「どうだったんだろう」そんな疑問を話せる相手や場所があればいいんじゃないかとおもいます。
それは、いまの医療の枠組みでは実現できないのでしょうけども、そのほかのさまざまな議論でいわれていることのどれも、無理の一言で立ち止まっていては、この事件以後も何もかわらないとおもいます。

投稿: 源氏星 | 2008年9月 6日 (土) 14時29分

無罪が確定したいま、医療者の方がこうして
>聞こえなくなることが解決じゃない。
と言ってくださることを、なによりも嬉しく思います。

つよぽん先生の柔軟さこそ、
医療者と非医療者のねじれた糸をほぐす要ではないでしょうか。

医療者の思いが、もっと多くの人に届きますように!と祈りつつ、
私は私の立ち位置から、応援していきますね。

投稿: 蝸牛 | 2008年9月 6日 (土) 22時38分

警察、検察は責任を問われません。
可能な方法は民事裁判しかありません。
まるで医療裁判をする医療被害者と同じですね。
警察はピラミッド社会でトップの安寧が重視されますから、表彰した本部長に名誉毀損で賠償を求めることで権威は失墜します。
勝つ必要はないのです。
裁判で家族を含め社会的制裁がおこなわれます。
医療裁判の不条理がしっぺ返しします。

投稿: 近森正昭 | 2008年9月 7日 (日) 02時40分

>おでかけさん

生意気だなんてそんな、全然そんなことないですよ。
この記事を書いてアップしたあと、なーんか
「不完全だ」「バランスがよくない気がする」
「書き散らかしたけど何か書き足りない」
そう思ってましたけど、勢いで書いたまま出しちゃった。
おでかけさんのコメント読んで一発で気付きました。
そうだ「医療者側が反省すべき事は?」という視点だけが
抜けている。どおりでバランス悪く感じるはずです。

おでかけさんが考えようとしていること、大事だと思う。
それが医療者側からのアプローチじゃないことにも
大きな意義がある。がんばって欲しいです。
そしてまたいろいろ教えて欲しい。
私が、我々が間違った方向に行かないように見守って、
ときどきは率直に苦言をもらえるのもありがたいのです。

投稿: つよぽん | 2008年9月 7日 (日) 17時37分


>Jさん

私のアタマの中には10個くらい部屋があるんです〜w
ときどきいっぺんに部屋のドアが開いて混乱しますww

私自身もなにをすればいいか、あんまりわかってません。
んで、わかってもその力がない。今は力を蓄えたい。
そして「たかが一人の勤務医」のできることだけ
ちょっとずつやるしかないんだろうな。
目先のこと(≒日々の診療)で手一杯なのは私も同じです。
それでいいんだと思う。
目先のこと(≒日々の診療)をおろそかにしては
語る言葉にも力がなくなってしまいます。

投稿: つよぽん | 2008年9月 7日 (日) 17時46分


>まりんさん

すごく率直な感想コメントをありがとう!
患者側、遺族側の立場だったらと考えたら、私だって…
理屈でわかっても心情的に理解はできないかもしれない。
じゃ、何が悪かったのか、何も悪くないのか、
どうすればいいのか、私も考えています。
まりんさんも考えてみてください。


投稿: つよぽん | 2008年9月 7日 (日) 17時50分

>源氏星さん

>「あれはなんだったんだろう」「どうだったんだろう」
そんな疑問を話せる相手や場所があればいいんじゃないか

このエントリーのコメント欄、おでかけさんが最初に
書いてくれたのと近い感じがします。
事故とかミスとか疑っている人、
悲しみを怒りに変換して医師や医療者を攻撃する人、
そしてそれを受け止めるor受けて立つ我々。
避けられない対立、ケンカだとすれば当事者がいくら
正論を吐いても火に油かもしれない。仲裁できるのは
完全な第三者だけなのかな。

投稿: つよぽん | 2008年9月 7日 (日) 18時00分

>蝸牛さん

あ、ほめられたw
ありがとうございます(^_^)

でも、おでかけさんにビシッと指摘されたように
やはり医療者の目線からだけ見ていることも多々あります。
もっともっと柔軟に考えるようになっていけたら、と思う。
あんまり柔らかくなりすぎると
全方位外交→八方美人→二枚舌…とか言われますが
…ま、いっか。

投稿: つよぽん | 2008年9月 7日 (日) 18時09分


>近森正昭さん

今回の件で警察、検察が責任を問われない…
このまま終わるのは口惜しい限りです。
でも…名誉毀損で訴えることができる立場にいるのは
加藤医師。彼はそんなことしそうにないですね…。
起訴/逮捕の裏に何があったのか、政治的な意図?
きなくさい噂は耳にしますが噂に過ぎません。
腹が煮えます。

投稿: つよぽん | 2008年9月 7日 (日) 18時16分

第三者の存在は必要だとおもいますが、じゃ直接話し合う場が要らないかというとそうもいかないとおもいます。
第三者は、おでかけさんのおっしゃっているように悲しいつらい気持ちをうけとめたり、問題点や疑問点を整理したりすることはできても、やっぱり直接話しあわなければ済まないのではないでしょうか。そうでなければ、交通事故みたいに一切保険会社にお任せっていうことにしてしまうか・・・

投稿: 源氏星 | 2008年9月 7日 (日) 19時54分


>源氏星さん

なんのために「直接話し合う」のか、ということ…。なにが「直接話しあわなければ済まない」のかということ…。患者や家族、遺族感情の解決と、過誤/ミスの有無の評価がごちゃ混ぜにならない形にしないといけない、と思います。

ドライに処理すべき事柄に感情が介入しておかしくなることもあります。結果責任の有無を裁く土俵上に患者自身や遺族の感情を持ち込まない。その前提の上で「直接話し合う場」を作るのがいいと思うんだけど…。

投稿: つよぽん | 2008年9月 9日 (火) 10時48分

「ミスが合ったのか知りたい」
「どうして死ななければならなかったのか明らかにしたい」

そういう言葉をよくニュースで眼にしますが、当事者である主治医だって、その事を知りたいのです。患者が亡くなれば、「何かミスがあったろうか?」そう回顧するものです。 でも、それでも尚、真実が分からないのが医療なのです。

投稿: | 2008年9月 9日 (火) 14時06分

つよぽんは面白いけど、頭もいいんだね。よわぽんは正義を冷静に語る人が好きだよ。よわぽんは父と叔父と姉がドクターなんだよ。いっぱいでしょ~?よわぽんはメンタルがいろんな意味で弱いから、中学校の先生になったんだけど、ここもどうして・・すごく厳しいんだぁ。もうやめちゃいたいよ・・wobbly

投稿: よわぽん | 2012年5月 6日 (日) 23時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/510591/42389894

この記事へのトラックバック一覧です: 無罪確定、そしてこれから...:

« つよぽん@渋谷 第一次カラオケ大戦 | トップページ | 医療問題を注視しる!を注視しる! »