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2008年6月15日 (日)

父の日に想う

ちょっとしめっぽい昔話? すんません。
 
 
私の父が亡くなったのは
私が20才、医学部に入学した翌年の冬。
 
原発性肝癌という病名と余命が一年以内であることを
母から知らされたのは医学部の合格発表の日でした。
 
高校の友人と長電話で合格発表の話なんぞしていたところに
「ちょっとそこに座って。」とあらたまって母に言われ
大学生活の心構えでも説教されるのかと思ったら
「お父さんはね…治らない病気なの。」と。
 
父本人には病名は知らされていませんでした。
医師から母だけが告知を受けたのは数ヶ月前だったようです。
大学合格の喜びが一気に吹っ飛びましたが
大学受験をひかえる息子を動揺させるまいと
合格発表まで私にも秘密にしたまま
平静を装っていた母のほうがつらかったと思います。
 
その後地元の病院や大学病院に入退院を繰り返す父。
私は大学の近くのアパートで独り暮らしをはじめましたが
大学に通いながら、ちょくちょく実家に帰って家族で過ごし
入院したときはお見舞いに行ったりしていました。
 
人に同情されるのが嫌いだった私は
父の病のことを親友にすら語りませんでしたが
「息子さんはうちの学生、医学部の1年生なんですね?」
「あの患者さん、おまえのお父さんなんだって?」
大学の担当医や臨床実習をしている大学の先輩たちに
否が応でもばれてしまうのがちょっとイヤでした。
 
そんなこんなで1年弱。
具合のいい時期もあって、そんなときには
「末期癌なんてウソなんじゃね?
 実は治っちゃったりするんじゃ…?」
なんて錯覚することもありましたが、
ゆっくりと確実に病状は進み、食欲がなくなって、
黄疸が強くなって、食べられなくなって、尿が出なくなって、
呼びかけに答えてくれなくなって、
 
実家の近くの病院に彼が入院していた1月某日、
家族とたくさんの親戚に看取られて息を引き取りました。
 
 
私の父は医者ではなく小さな会社の社長、商売人でした。
亡くなったあと、父の蔵書を整理していたら
「子供をサラリーマンにしない方法」なんて本が出てきた。
「実はあなたを医者にしたがっていたんだよ。」
と、あとから母親や親戚が教えてくれました。
父は私の大学受験や進路にとやかく言ったりしなかったけど
知らないうちに進路を誘導されていたのか、私は?
(上手いな、親父w …つか私が単純だったのか…orz)
 
 
ケンカばかりしていて親孝行なんて全くしませんでしたが
彼が生きているうちに医学部を受験、合格したこと、
医者になる人生を進み始めたことを見届けるまで生きてくれたこと、
それが私にとって唯一の「親孝行」だったと
自分に言い聞かせています。
 
父親と酒飲んでハナシとかしたかったなぁ、と時々思います。
大人同士の会話ができるようになる前に死んでしまったのは残念。
今なら口げんかしても絶対負けない自信がありますw
 
 
ん…子供をサラリーマンにしない??
今の私の仕事「勤務医」も実はサラリーマンなワケですが
そーゆー突っ込みはナシね(^^;)

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コメント

なんか読んだら父に電話しようと思ってしまったのに、結局母にかけてしまった。そしたら今、父から、よくわかんないけど、漬け物石の写真がメイルで送られてきた。
来週実家に帰ります。スーツケースを取りに、というのもあるけれど。
そっかー。私は、祖母の介護のことで頭いっぱいで、まだ親がどうこうというのを考えてないな、と思った。もったいないことをたくさんしているのかも。

投稿: おでかけ | 2008年6月15日 (日) 23時28分

こんばんは
生意気なこと書きますがカチンとこないで下さいね
つよぽん先生は、お父様の病気のこと、その時のご自分の感情をBlogへ素直に書くことによって
>人に同情されるのが嫌いだった私
から卒業されたのだと思います。

たぶんお父様は、スーパードクターを目指すつよぽん先生を誇りに思っていると思いますし、父の日に思い出してくれて「ありがとう」と思っていることでしょう。

良い医師の条件は患者やその家族の苦しみや痛みが分かることだと思っています。
つよぽん先生の優しさは、痛みを知っているからだと思います。

スーパードクター目指してがんばってください。
但し、お身体に気をつけながら・・・・・

投稿: Silver Moon | 2008年6月16日 (月) 22時06分

私も偶然ながら20歳の時に父を亡くしました。
外科医だった父は当直中の心筋梗塞と思われ、私達家族は突然すぎて別れを言うことも出来ませんでした。
大学2年生だった私は遊びほうけて父に親孝行など何もしていませんでした。家族それぞれが、父との突然の別れを受け入れられず長い間苦しい思いをしました。

だから、治らない病気は苦しみもあるけれど、心の整理をしながらお別れができるからとてもうらやましいと思ってきました。

もちろんそれぞれでしょうけどね。

外科医だった父と今語り合いたいことが沢山あります。
ちょっと変わったキャラ(私とはだいぶ違う人間でした)だったので、今私の心の中ではそのキャラが美化されたまま生きています。

つよぽん先生は幸せに育ってきたのですね。
にじみ出ているように感じます。

投稿: LUPO | 2008年6月17日 (火) 22時04分

mixiでブログの紹介を見ました。
私の両親はまだ健在なので、分かりかねる事もありますが、とてもお辛かったでしょうね。でも、医師として頑張っていらっしゃるのを、きっと誇りに思って下さっていますよ。
またこれからも頑張って下さい!

投稿: miki | 2008年6月19日 (木) 17時58分

同姓の親を早くに亡くされ、寂しい想いをされたのでしょうね。。
私も母親がおらず、「こんな時母がいたら・・・」と今でも思う事があります。親になってから、特に思うようになりました。
息子にとっての父親、娘にとっての母親、というのは何か・・・こう・・・言葉では表現できないのですが。。(言葉を知らなくて(><))

それにしても素晴らしいお母様ですね。同じ立場になったら・・・と考えるとそんな気丈に振舞えるだろうか?
お母様の深い深い愛情を感じました。


なんか・・今まで独身で過ごされているのか、少し見えた気がしました。
若い頃からすでに一家の大黒柱として過ごされてきたのではないですか?違っていたらごめんなさい。『しっかりしなくちゃ。俺がしっかりしなくちゃ・・俺が家族を守っていくんだ』と。。
でもきっと、そう思ってる事を他人には知られたくないし、見せたくないから、ちょっとおちゃらけてみたり。
勝手につよぽんセンセを分析しちゃいました(^^;
お許しくださいm(_ _)m

もし、今お父様が健在だったら『コイツが俺のの息子だよ』とみんなに自慢しまくっていたでしょうね。鼻タ~カダカに。

『医者になって欲しい』と願いながら育てた息子が、医者を志し、見届けることができた・・・お幸せだったと思います。
そして、こうやって思い出してくれる・・ホント幸せなお父様だと思います。。

投稿: まりん | 2008年6月20日 (金) 22時25分

>おでかけさん
家族が元気でいるうちは…もったいないことをたくさんしているのかも。確かにそうですね。私も母は健在ですが自分の仕事の忙しさを言い訳にして放置状態です(笑)。

>Silver Moonさん
ありがとうございます。同情されるのが嫌いだったひとつの理由は“同情”という感情、憐れみの感情には優越感が潜んでいると思っていたからです。ひねくれてましたね、私(笑)。スーパードクターなんて私にゃムリポですが、カリスマドクターにはなる予定です。←ツッコミどころですw

>LUPOさん
働き盛りの心筋梗塞って突然に生命を奪ってしまいますよねぇ。LUPOさんのほうが私なんかよりずっと苦しかったでしょうね。今考えると父の病を知らされてから亡くなるまでの10ヶ月間も、私は幸せだったと思います。親って、自分にとってなんなんだろう、親にとって子供ってなんなんだろう、そんなことを考えながら過ごした10ヶ月間でした。同じ20歳で…と言っても父との別れ方、私とLUPOさんは対照的ですね。また、いずれ機会があればお聞きしたいです、LUPOさんのお父さんのこと。

>mikiさん
誇りに思ってもらえるような息子になっているかどうか…疑問ですが(^^;) 右往左往して空回りしつつ頑張っているのをニヤニヤしながら見てるだろうなぁ…と想像すると自分もニヤニヤしてしまいます(笑)。

>まりんさん
いやー『俺がしっかりしなくちゃ・・俺が家族を守っていくんだ』なーんて気持ちは微塵もなかったりして(^^;) 母と弟がいますがむしろ『俺は俺でしっかりやるから・・オメーラも勝手にしっかりやれよ』みたいな。

投稿: つよぽん | 2008年6月21日 (土) 16時12分

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